2023.10.12~31 エベレスト街道 ネパール

<メンバー>おかちゃん、かずちゃん、ながおか、きたはら、ともさん記<やなぎ>

<概要>念願のネパールトレッキングに行ってきました。ともさんが高山病になり早々に行程変更があり、その後も体調不良のメンバーがいて目的の地へは行けませんでしたが、エベレストをはじめヒマラヤの山々を眺められたこと、現地の風土に触れたことはほんとに貴重な体験でした。

10月12日(木)13時佐野バスターミナル~14:45羽田空港

10月13日(金)羽田空港0:20~4:50バンコク10:15~カトマンズ12:55

夫にBTまで送ってもらう。おかちゃん夫妻ながおかさんはすでに到着。その後F夫妻が見送りに来てくれた。やなぎさんが宇都宮から乗ってくる予定であったがパスポートを忘れたとのことでバスに乗れなったと連絡が入る。道路がすいていて15時前に空港に着く。荷物を一時預かりにお願いしてチェックインまで空港内をあちこち散策をした。羽田空港国際線第3ターミナルには羽田エアポートガーデンがありお土産物屋さん飲食店温泉施設等がある。泉天空の湯は4800円入ってみたい気もするが出かける前からお金使えないということでパス。展望デッキで飛行機の離着陸見たり、タリーズでコーヒーを飲み和食屋さんで夕飯を済ませ21時チェックインカウンターに並んだ。やなぎさん北原さんもそこで合流しチェックインを済ませ保安を通過し搭乗口で待つことにした。13日0時20分発であったが羽田行きのバスが13時しかなかったので空港で長い時間待つことになった。行く前からちょっと疲れ気味かな。チェックインの時髪の長い男性が多くの女性とともにそのグループとはカトマンズのフジホテルでも一緒になった。ヨガインストラクターのグループでサランコットの丘へ行くとのことでした。

出発してすぐに水とパンの軽食が出て消灯。バンコクまで6時間、夜中の飛行機でも寝られない。バンコクでのトランジット5時間。日本でお土産のお酒を買う予定だったがバンコクの乗り継ぎで水分は100mlまでということで没収されてしまうという。機内食で出た水でさえも没収されてしまった。トランジット保安を通過してからお酒を買ったが、バンコクの物価が高くびっくりだ。CHOYAの梅酒が5000円。500mlのエビアンの水も60バーツで250円だった。空港だから高いのか?ベンチに座り時間をつぶしてタイスマイル航空機でカトマンズへ向かった。

12:25定刻カトマンズに着いた。ここでハプニング。ながおかさんになかなか入国の許可が下りない。何人かで確認してやっと通過。顔認証が通らなかったようだ。この後タメルでスマホのSIMを買う時も認証されずなぜ?と疑問だった。空港でやなぎさんとともさんはスマホのシムを購入。その後ディニシュご夫妻キランさんのお出迎え一人ひとり花輪のレイをかけていただき歓迎を受ける。記念写真を撮り荷物を車に積みフジホテルへ向かった。カトマンズの街は大混雑。車に2~3人乗りのバイク、人で溢れていた。狭い道なのに大きな車がすれ違い驚くことばかり。ホテルに着いてから今後の予定の話し合いやパールルピーへの換金などをして部屋で一息ついた。その後街に出てはがきを買い日本食料理のお店で夕食を食べた。エべレストビールで乾杯。しばらく日本食は食べられないのでここで思う存分いただいた。

10月14日(金)カトマンズ散策

タメルの街に出て山道具屋さんおみやげ物屋さんなど歩いてみる。ながおかさんのネパール式買い物が楽しい。提示した値段では絶対買わない。店員さんとの値切の駆け引きが面白かった。お昼はカレー店。日本語の上手な恰幅のいい女性オーナーさんが応対してくれて久しぶりに日本語が話せて嬉しいと話していた。ホテルに戻ってから出発の荷づくり、飛行機制限荷物が15㎏までというので何度も選別しては1階の計量器に量りに行った。夜は前日と同じ日本料理店おふくろの味でディニシュとキランさんを囲んで会食をした。

10月15日(土)カトマンズ4:00~ラメチャップ空港9:00

ホテル4時出発。カトマンズからルクラ行きの飛行機がなくラメチャップ空港までハイウエイを約5時間かけて車で移動。ハイウエイとは名ばかりでくねくね山道、ダートあり、カーチェイスなみ細い山道での追い抜き、乗っているだけで疲れた。空港に着くと飛行機が何機か離着陸していたがパタッとなくなり、強風のため今日はもう飛ばないとのこと、仕方なく空港近くのホテルで一泊することになった。

10月16日(日)ラメチャップ空港10:30~11:00ルクラ13:15~パクディン17:15

8時に空港へ行くと前日乗れなかった登山者でごった返していた。待っていればいずれは乗れるだろうと気長に待ち10時過ぎにやっと保安通過。待ちに待ってやっと搭乗。30分でルクラに着いた。ルクラでガイドのビムさんグンさん、3人のポーターさんが出迎えてくれた。昼食を食べていよいよトレッキングスタートだ。本日はパクディンまで約3時間の行程。

多くのトレッカー、スタッフバックをゴム縄で2~3個束ねて頭からぶら下げ運ぶポーター、

荷を積んだヤクや馬、ロバの群れ、エベレスト街道道中ずっと行き交う。目的地まで行けるか不安と期待を胸に歩き出した。この日、日本人に会わなかったのは意外だった。

スタートして1時間アクシデント発生。ながおかさんが転んで膝を強打してしまった。テーピングをしてしばらく一緒に歩いたがどうも様子が変だ。かなり痛みがあるらしくこれ以上進むのは無理との判断で、ガイドのキランさんにお願いしてながおかさんと別れることになった。今回ながおかさんは行く直前に足の調子が悪くなり別メニューでガイドとポーターを依頼してあった。その後ながおかさんとはラインでやり取りして経過を聞いた。

私たちもパクディンまでは進まなければならず先を急いだ。薄暗くなる頃パクディンに着いた。初めてのロッジ泊。この日は早くからガスがかかりロッジの部屋は寒かった。夜は雨も降りだした。食堂は暖房があり、荷物を整理してから食堂で過ごした。欧米人が多くとても賑やかだった。やなぎさんが風邪の症状、鼻水微熱があり風邪薬を飲んで様子を見た。

スマホ充電は200R水150R

10月17日(火)パクディン(2610m)8:00~ナムチェバザール(3440m)16:45

朝、雨が降っていて寒い。防寒着を着こんで出発したが間もなく太陽が出始めると一気に暑くなりたくさん着込んでいた防寒着を全部脱ぎシャツ1枚になった。沢沿いの石畳のアップダウンの道には軒並みロッジが建っている。ジョルサレのチェックポイントではザックの中を見せるように検問官から指示があった。この先でランチ、味のないスパゲッティを食べた。ランチの時間も約1時間半たっぷりとる。ここからは河原を進み高度感のあるつり橋を渡り600mのきつい急登を3時間かけてナムチェの街に着いた。「ナムチェバザール」よく耳にしていた響き。どんなところだろう?車道があるわけでもない山奥にこんな多くの建物。ストゥーパ、水力マニ車、正規のノース店舗、スパや銀行、クリニックに薬局なんでもそろっている。驚きだった。バレーボールのコートがあり地元の子供たちに交じってトレッカーもプレイしていた。ラリーになっていて上手。しばらく見入ってしまった。夕食はモモ、チキンライス、ベジスープおいしかった。アイランドピークへ行くというフランス人の女性が日本語でホッカイロの使い方を教えてほしいと話しかけてきた。かずちゃんが女性と話が弾んでいた。疲れていたせいかすぐ眠りについたが、夜中何度も目が覚め水を1.5Lも飲んだ。

10月18日(水)ナムチェ8:00~エベレストビューホテル(3880m)~ナムチェ12:40

朝外に出ると青空に真っ白な山が目に飛び込んできた。右にコンデ左にカンテが素晴らしい。本日の行程は高度順化でエベレストビューホテルへ8時スタート。細いつづら折りの登山道を抜かれながらゆっくりゆっくり登る。とてもきつい。ヘリポートのある丘に着くと富士山と同じ高さの看板。その奥にエベレストビューホテルがある。残念ながらガスが多くエベルストは見ることができなかったが、見えた気分でホテルのテラスでコーヒータイム。午後はナムチェの街を散策した。ニット帽を値切って買ってみた。ながおかさんのようにはいかない。

ここから私は体調が悪くなっていたようだ。息苦しさ体のつらさ、頭がぼーっとしていて食欲がない。夕食はトマトスープとジャガイモシェアで2個。なかなか寝付けず甘酒とお汁粉を飲んだ。この夜はよく眠れなかった。

10月19日(木)ナムチェ7:55~タンボチェ(3860m)14:40~ディボチェ(3820m)15:20

ナムチェを出発しいよいよ高所域に入っていく。山腹道からは正面にエベレストを見ながらの素晴らしい道だ。ビューポイントでは多くのトレッカーが立ち止まり写真を撮りあい竹下通りのように人でごった返す場所もあった。タンボチェへは一度3250mのプンギタンガまで下る。橋を渡ったロッジで昼食、600mの急登を登り返しタンボチェの街に着いた。一気に寒くなり上着を羽織った。大きな寺院があり300Rを払い中に入りお参りした。大きな仏像があり道中の安全をお祈りしてきた。そこから40分下ったところのディボチェが本日の宿パラダイスロッジ。この夜は心拍数が120まで上がりドキドキしてつらく夕食を食べずに睡眠導入剤を飲んで寝た。

10月20日(金)ディボチェ10:00~パンボチェ(3930m)11:50

12時間爆睡したが朝熱が38度あったため出発を10時にしてもらい谷間の町から日当たりのよいパンボチェへ移動した。午後横になっていたがまた夜熱が出た。朝昼は食欲があったが夜は食べられなかった。ロッジはアマダブラム、エベレストローツェがよく見えて展望が良い。ロッジの一人娘ハッパちゃんがおかちゃん夫妻の部屋に遊びに来てダンスを披露してくれた。ナムチェの学校へ行っているそうだが休みで家に帰ってきているそうだ。外のテラスで英語の勉強もしていた。学校事情を教えてもらい興味深かった。このころかずちゃんも咳が出始めていた。

10月21日(土)パンボチェ8:00~ディンボチェ(4410m)11:50

パンボチェの街は森林限界を越え日当たりがよく畑もあちこちにある。エベレストビューはここまででここから先はヌプツェの裏に隠れてしまう。なだらかな道をゆっくりゆっくり歩いていく。右手にアマダブラムBCへ行く道が見えてそちらへ向かう人たちが見える。ソマリのロッジでお茶休憩をして進むと気持ちの良い広い大地の道になった。そこはペリチェとディンボチェとの分岐、そこから真っ白な三角錐のプモリが見えた。私たちは右のディンボチェへの道をたどる。双耳峰だったアマダブラムが一つになった。一度沢に下り橋を渡り200m登り返してディボチェの街に着いた。ここも大きな街で建設中のロッジがいくつもあった。昼食はシェルパシチュー、空気が薄く感じ食欲がない。食後予防のためダイアモックスを半錠飲んで午後裏手の高台まで高度順応に出た。副作用かとても喉が乾き1Lのペットボトルを抱えながら登った。夜中眠ろうとすると目が覚める。ミウラドルフィンで経験した症状だ。SPO2計ると60まで落ちていた。

ながおかさんはこの日ルクラからカトマンズへヘリで移動し入院したとの連絡があった。膝は骨折していたそうだ。

10月22日(日)ディンボチェ10:00~パンボチェ15:00

朝、頭痛と吐き気。完全に高山病にかかってしまった。目の前のクリニックにかかるかとの案もあったがパンボチェへ降りることにした。ここでカラパタールへ行くことはできないことが決定。みんなに迷惑をかけてしまい涙が溢れた。調子が悪いので歩くのもゆっくり、休み休みパンボチェへと降りた。下りるにつれ高山病の症状は薄らいでいった。

ロッジに着いてからクリニックにかかったほうがいいということで、クリニックへ向かった。メイン街道にあるのかと思ったら、パンボチェは街道沿いのオリム下村と高台のテリム上村があって、クリニックは上村にあった。30分ヤク道を登って行った。すれ違った具合の悪そうな欧米の女性は飛んできたヘリで降りて行ったようだ。そこのクリニックは産婦人科の女医さんでスマホ翻訳を使いながら症状を伝えた。夜は食欲も出て楽になった。ロッジにはアマダブラムサミットするというインド人とコンマラパス越えでロブチェへ行くという韓国人がいた。韓国人はモンベルのダウンを着ていてモンベルがお気に入りと話していた。

夕食の時、今後の予定を話し合いチュクンまで行くことにした。

10月23日(月)パンボチェ8:00~ディンボチェ13:00

ダイアモックスが効いたせいか私はかなり楽になった。かずちゃんは最悪だと言っていたが、ディンボチェへ出発した。かずちゃんも私も咳がひどく喉が痛い。きたはらさんは蓄膿症の症状が出始めた。ソマリでの休憩はジンジャーティ、喉にしみる。乾燥と舞い上がる埃にみんな喉をやられてしまったようだ。13時にディンボチェに着き、昼食後カフェ4410に行ってみた。多くの欧米人で賑わっていた。カフェモカとチョコブラウニー1000Rを食べた。かずちゃんは具合が悪そうだ。カフェに来ないで休んでいたほうが良かったかなと思った。夜寝つきは良くなかったが、一度高度を下げたおかげで高山病の症状は出なかった。

10月24日(火)ディンボチェ7:30~チュクン(4730m)10:55~ディンボチェ14:00

ディンボチェからチュクンへは右にアマダブラム、正面にアイランドピーク、左にローツェ、後方にダブチェと360度の素晴らしい景色を見ながら歩く。開放感がありほんとに素晴らしい。急な登りはないが高度があるのでゆっくり進む。景色を堪能しチュクンのロッジでお茶休憩をしてロッジに戻った。ソマリまで下りる予定だったが、かずちゃんの調子がかなり悪そうだ。ロッジ前のクリニックにかかることになった。寒いクリニックで1時間待っているうちにSPO2が50代まで落ちてしまったそうだ。クリニックの医師は高山病のエキスパート、聴診器で肺水腫と診断。酸素マスク投薬で即入院、翌日ヘリで降りることになった。

10月25日(水)ディンボチェ(4410m)8:00~サナサ(3550m)16:00

朝、クリニックに行きおかちゃん夫妻とお別れをして3人で下山することになった。サナサまでの行程は長い。ソマリで休憩、プンギタンガでお昼休憩をしてサナサまでのアップダウンの道、頑張った。サナサのロッジは谷間にあって寒い。トイレが通り道になっていて裏の戸が開いたままになっていることが度々、夕食のシェルパシチューのニンニクが効きすぎて喉通るたびに咳こんでしまい食べることができなかった。下山は咳との戦いだった。夜も咳こんで眠れなくつらかった。

10月26日(木)サナサ(3350m)8:00~ベンカー(2630m)16:00

サナサからナムチェまでの山腹道はすぐかと思ったら結構な距離があった。もう一回エベレストビューホテルへ行きたかったがガイドのビムさんに遠いよと言われ断念。地図上では近くてすぐ行けそうだが、実際歩いてみると大変だ。途中行きに撮りそびれたストゥーパがある高台に登りストゥーパとエベレストの写真を収められて満足した。ナムチェでは行きに泊まったロッジでお茶休憩。北原さんはシャワーを浴びた500R。ナムチェを後にして急坂を下り途中最後のエベレストを目に焼き付け河原まで一気に下りた。そこに日本人のシニアのご夫婦と若い男女のペアが休んでいた。ご夫婦とは話せなかったが、若い子は福岡からきてアイランドピークとスリーパスに行ってくると意気揚々と話していた。ヘロヘロになっていた身には羨ましい限りだ。そのあと群馬のネームの入っているツアーグループとすれ違った。この日は数組の日本人に会った。モンジョンの検問所を通りここで泊まる予定だったが、時間が早いのであと1時間ベンカーまでがんばれとのこと。もう着いたと思ってからの1時間は長い。思いのほかアップダウンもある。ベンカーのロッジは食堂にガスストーブが設置されていた。一回下りたパンボチェのロッジではストーブの煙突が外れて、煙が充満し一酸化炭素中毒になるかと思ったのと比べるとなんて居心地がいいのだろう。1歳くらいの男の子がいてハイハイして食堂に来ては愛嬌を振りまいてかわいかった。明日1日歩けばルクラだと思うとほっとした気持ちになった。

10月27日(金)ベンカー(2630m)8:15~ルクラ(2840m)15:00

トレッキング最終日、ベンカーを出発し石畳のアップダウンの道を歩く。1時間半でパクディン、その後お茶休憩をして14時に貞子さんが4~5日滞在したロッジで昼食を食べた。トイレが外で和式、部屋は2階にありけがした身体にはつらかっただろうなと思った。そこからルクラまでは登り、なんか尾瀬の鳩待峠の最後の登りとダブった。ルクラの門をくぐり歩き通した安堵感、感極まるものがあった。最初に寄ったロッジに荷物を置いて近くの日本人経営のお店でお土産を買った。ガイドのビムさんグンさん、ポーターのダサラさんポドムさんラメスさんを囲んで夕食。いろいろとお世話になったことを労った。疲れていたので盛り上げてあげることができなかったが、皆さん笑顔だった。その場にいたアメリカ人のペアはEBCとカラパタールへ行ってきたそうで、寒さと風でかなりハードだったと話していた。

10月28日(土)ルクラ9:30~ラメチャップ10:00~カトマンズ17:00

8時に空港へ行き待つこと1時間やっとチェックイン、日本人のガイドツアーの方に会う。ヒマラヤ観光エベレストビューホテル経営の会社のツアーで、ヘリでルクラまできてこれからカトマンズに帰るとのことだった。調べてみたら行きは歩いてナムチェまで行きエベレストビューホテルに泊まり帰りはヘリでの8日間のツアー。いろいろな行き方があるのだなと思った。ラメチャップに先に出たはずのツアーの飛行機とツアー客がいなかったのでカトマンズへ飛ぶ飛行機もあるのだと思った。ここからカトマンズまでの5時間の車移動が私は一番つらかった。乗り合わせネパール人家族のおばあちゃんが袋を抱えずっと吐いていた。もっと過酷な道があるのだろうが、それほど過酷な道だ。昼食は途中のモモ専門店。揚げモモ、焼きモモ、水モモの味比べ食べられるだけ食べた。夕方カトマンズに着き、ながおかさんおかちゃん夫妻と再会した。元気そうな顔が見られてほっとした。12日ぶりのお風呂で汚れを落としさっぱりした。バスタブのお湯が泥水になりこんなの初めての経験で思わず笑った。夕食は日本料理おふくろの味へ。

10月29日(日)カトマンズ散策

この日は自由行動。きたはらさんはタクシーで世界遺産のスワヤンブナートへ出かけて行った。咳が止まらず寝不足もあり午前中は部屋で休みお昼前にダルバール広場まで散策に行った。雑踏の街並みにたくさんの人々で活気があった。疲れもピークでお昼のパンを買い早々に部屋に戻り休む。夜はディニシュさん宅に招かれ夕食を共にした。冬虫夏草のお酒にきたはらさんは大感激。チキンやダルバートのお料理を美味しくいただいた。

10月30日(月)フジホテル10:30~カトマンズ空港13:30~18:15バンコク23:15

帰国の日、フジホテルにお迎えが来て空港へ向かう。警備員がたくさん道路に立って交通整理をしていた。道路も大混雑。ダサインのお祭りでツーリストが多いからだそうだ。空港の入口までディニシュさんキランさんが見送ってくれた。飛行機の窓からエベレストらしき山が見えた。帰るんだなぁと感慨深い。バンコクでのトランジット5時間ベンチで横になって過ごした。

10月31日(月)バンコク~6:55羽田空港9:55~佐野バスターミナル11:45

帰りの飛行機が寒くながおかさんが機内食を食べられないほど体調を崩してしまっていた。予定通り7時に羽田着。荷物がなかなか降りてこず1時間ほど待った。外に出るとパキスタン隊のメンバーが来てくれていて無事帰国を報告した。きたはらさんともそこで解散。20日間の行程がすべて終わった。行く前からトラブル続きで行ってからもいろいろあり大変だったが、無事に帰国できてほんとによかった。

コロナ禍で風邪ひとつ引かず無菌の状態で約4年、エベレスト街道の糞尿が舞う埃を吸い込み喉や鼻をやられ咳がひどく本当につらかった。ネパールの自然免疫がなかったとつくづく思った。カラパタールまでは行けなかったがエベレストをはじめお気に入りのアマダブラムや雄大な山々を眺め、エベレスト街道の環境文化に触れたことは、私にとっては貴重な経験だった。




      
タイトルとURLをコピーしました