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2006年4月 小山山岳会 エベレスト街道トレッキング 報告書
        (カラパタール 5550m ・エベレスト ベースキャンプ 5200m ・ゴーキョ ピーク 5360m ) 
カラパタールからのプモリ
                カラパタールからのプモリ ( 7165m )

1.日程4/15(土) 〜 5/7(日)   23日間

2.費用 ( 千円 / 人 )
(1)飛行機 ( 成田 〜 バンコク 〜 カトマンズ )140    (2).旅行保険10   (3).交通 ( 小山 〜 成田 )3   (4).食費 ( 日本、バンコク、カトマンズ )持参日本食、薬19.3   (5).トレッキング エージェント支払い及び国際線空港税165.6 ( ロッジ宿泊 3食付、カトマンズホテル 4泊、トレッキング及び観光ガイド) 国立公園入場料:1000 Rs、カトマンズ 〜 ルクラ飛行機、空港送迎 ) 国際線空港税:1695 Rs、チップ   (6).ネパールビザ(駐日ネパール王国大使館)4
              計341.93.
3.メンバ- (小山山岳会)
       「おしやま」 定雄、  「ながおか正」   「ながおか」 「さだこ」

ネパール現地 エージェント
Dinesh Kumar MagarPost Box #10688, Bishal Nagar, Kathmandu NepalPhone 0977-1-4438585 Fax 0977-1-4443406E-mail:trek@dineshmgr.wlink.com.nphttp//www.nepatreks.com
行動概要
日付 ・ 行 動 内 容 ・ 行動時間
4/15(土)Day 01 成田発 16:55 タイ航空TG677便  6時間 フライト → バンコク着 21:25
4/16(日)Day 02 バンコク 10:30 TG319  3時間 フライト → カトマンズ着 12:35 Kathmandu (1350 m)
4/17(月)Day 03 カトマンズ Kathmandu 40分 フライト → ルクラ Lukla (2840 m) 3:00 → パクディン Phakding (2652 m)3H
4/18(火)Day 04 パクディン Phakding 6:00 → ナムチェ バザール Namache Bazaar (3390 m)6H
4/19(水)Day 05 高度順化  ナムチェ バザール 1:00 → シャンボチェ (3790m) 1:00 → クムジュン Khumjung (3780m)1:10 → クンデ Khunde (3840m) 1:10 →ナムチェ バザール (3390 m) 4:20H
4/20(木)Day 06 ナムチェ バザール 2:30 → プンキ テンガ Phunki Tenga (3250m) 2:30 → タンボチェThyangboche (3860m)  5H
4/21(金)Day 07 タンボチェ 2:00 → パンボチェ Pangboche (3930m) 2:30 → ディンボチェ Dingboche(4410m)高度障害 要注意  4:30H
4/22(土)Day 08 Hike to Chhukung Valley チュクン (4730m) , Over night Dingboche for Acclimatize 高度順化 4:00H
4/23(日)Day 09 ディンボチェ Dingboche 1:00 → トゥクラ Dughla (4620m) 2:00 → ロブジェ Lobuche (4910m) 3:00H
4/24(月)Day 10 ロブジェ Lobuche (4910m) 2:30 → ゴラク シェプ Gorak Shep(5140m)ゴラク シェプ 2:00 → エベレストBC(5200m) 1:30 → ゴラク シェプ 1:30 7:30H
4/25(火)Day 11 ゴラク シェプ 2:00 → カラ パタール Kala Patthar (5550m) 1:00 → ゴラク シェプ Gorak Shep(5140m) → ロブジェ Lobuche (4910m) 4:30H
4/26(水)Day 12 ロブジェ 1:45 → トゥクラ Dughla (4620m) 1:00 → ペリチェ Pheriche (4240m) 2:00 → パンボチェPangboche (3930m)  4:45H
4/27(木)Day 13 パンボチェ 2:30 → ポルツェ Portse (3800m) 3:00 → トーレ Thore (4300m) 5:30H
4/28(金)Day 14 トーレ Thore (4300m)2:00 → Nha (4440m)30 → パング Pangka (4465m) →5:40ゴキョ Gokyo (4790m)  3:10H
4/29(土)Day 15 ゴキョ 2:30 → Gokyo Peak (5360m) 1:00 → ゴキョ Gokyo (4790m) 1:40 → パング Pangka (4550m)0:40 →マッチェルモ Machhermo (4410m) 5:50H
4/30(日)Day 16 マッチェルモ 2:00 → ドーレ Dole (4040m) 1:00 → ポルツェ テンガ Phortse Tenga (3675m) 2:50→ ナムチェ バザール Namache Bazaar (3390 m) 5:50H
5/1(月)Day 17 ナムチェ バザール Namache Bazaar (3390 m) 3:00 → パクディン Phakding (2652 m) 3:00H
5/2(火)Day 18 パクディン 4:00 → ルクラ Lukla (2840 m) 4:00H
5/3(水)Day 19 ルクラ 40分 フライト → カトマンズ Kathmandu
5/4(木)Day 20 カトマンズ 観光  フライト 予備日 (カトマンズ Kathmandu)
5/5(金)Day 21 カトマンズ Kathmandu 観光  
5/6(土)Day 22 Kathmandu 発 13:40 TG320 3時間 フライト → バンコク着 18:10 乗換え 発 21:10 TG642
5/7(日)Day 23 6時間 フライト→ 成田着 07:30
Trekking  Map
装備・備品
(ウェア類)
*
冬用シャツ(ウール、ダクロン製など)1〜2  *山歩き用ズボン(ストレッチ性のあるもの)1〜2  *飛行機、カトマンズ用ズボン1〜2  *Tシャツ ( バンコク、カトマンズ用 )2〜3  *防寒下着 上下1〜2  *下着:パンツ3〜4予備1セットは機内持ち込み  *山用ソックス(速乾性)2〜3洗濯出来る  *ソックス ( 飛行機、バンコク、カトマンズ用 )2〜3  *セーター(フリース)1  *帽子(日除け用と防寒用)1  *バンダナ類(手拭き、帽子、マスクなどに)1  *マスク(喉荒れ防止・防塵)1カトマンズで必要  *冬用手袋2高所  *軍手1  *オーバー手袋(ゴアテックスのオーバーミトン)1  *目出帽(防寒帽子と兼用がよい)1高所、夏はイヤーバンド(耳カバー)でもOK  *雨具(傘も要)1防風、防寒、多目的に使用  *ウィンドヤッケ1  *オーバーズボン(高所トレッキング)1  *スパッツ(降雨時、雪道、泥道、砂道など)1  *スニ-カ ( 飛行機、バンコク、カトマンズ用 )1
(トレッキング装備)
*軽登山靴1  *ストック(2本)1  *ザック 70〜80 L1  *サブザック 40〜50 L1  *スタッフバッグ1  *ビニール袋 20〜30 L5ゴミ袋、汚れ物収納用  *ウェストポーチ( 1 )  *サングラス1  *水筒 ( ペットボトル 0.5l )1  *テルモス(0.7リットル以上のもの)1  *ヘッドランプ(軽量、長時間点灯可能タイプ)1予備電池 2  *ナイフ1機内持ち込み厳禁  *コンパス1  *温度計(ファスナータブに付けるタイプ)1毎日の日記に記録  *デジタルカメラ1予備電池 2〜3、予備メモリ  *電池(単3はAA、単4はAAA表示で売っています)2〜3カトマンズでも入手可能 電池の呼称  *時計(高度計付きが便利)1  *目覚し時計1共同で1  *筆記用具(3色ボールペン、鉛筆)1  *地図(タメルのMaps Shop/書店で購入)1共同で1  *ネパールガイドブック1共同で1  *ノート(日々の記録:地図があれば地図に書き込む)1防水の袋で保管  *洗面用具セット1石鹸、歯磨きセット、櫛、電気カミソリ など  *タオル1〜2  *ハンカチ2〜3  *爪切り1  *単三電池充電器1共同で1  *コンセント変換アダプタ1共同で1  *パスポート1  *航空券1  *海外保険1  *英和、和英辞書1共同で1  *ロールペーパー2  *ティシュ3〜4  *シュラフ1  *シュラフカバー1  *ライタ2〜3  *ゾウリ又はサンダル1  *ツエルト1共同で 1〜2   *裁縫セット(白、黒糸 大、中、針 2〜3 、ハサミ)1共同で1  *洗剤1  *3〜4 mm 細引 7〜8 m1物干し用  *シャンプー1  *日焼け止めリップクリーム1  *日焼け止めクリーム1  *うがい薬1
(薬・共同)
 *
外科用消毒液1マキュロン  *傷薬1  *化膿防止剤1  *整腸剤2  *下痢止め2正露丸、  *頭痛薬2バッファリン  *風邪薬3  *虫かゆみ止め1カトマンズで使用  *虫除けスプレー1カトマンズで使用  *目薬1  *シップ薬2  *バンドエイド2  *包帯2  *テ-プ2  *ダイヤモックス(高度順化促進剤)20


ゴキョ ( 4790m ) のロッジの食べ物の値段
品 名 Rs 品 名 Rs
ミルク ティ 30 51 トースト 2枚 (ジャム又は蜂蜜付き) 70 119
ブラック ティ 25 42.5 パンケーキ (ジャム又は蜂蜜付き) 90 153
ホットレモン 40 68 スープ (玉子、オニオン、ガーリック、トマト) 90 153
ポット (小)入りティ  カップの約5倍     ヤク ステーキ (ポテトチップス付き) 300 510
チャパティ ( ジャム又は蜂蜜付き ) 90 153 カレーライス 170 289
ポテトチップス(フライド ポテト) 170 289 ピザ 220 〜 290 Rs   374〜493
スパゲティ(トマト、チーズ) 220 374 モモ (餃子) 170 〜 240 Rs   289〜408
ベジタブル フライドライス(チャーハン) 170 289 ロキシ (地酒) 60 102
ベジタブル スプリングロール(春巻き) 120 204 チャン (地酒) 40 68
ククリ ラム (ブランディ小瓶) 200 340 エベレスト ウィスキー (小瓶) 200 340
ビール 220 374 サンドイッチ 150 〜 220 Rs   255〜374
ホット シャワー 200 340 お湯(飲み物用) 50 〜 250 Rs   85〜425
お湯(洗顔用) 40 68        
気温
日本から持っていった食料
ネパール紹介
 北はチベットと接するヒマラヤ山脈、南はインドへとつながるタライ平野にはさまれた小さな国、ネパール。
標高5000mを越える高地から亜熱帯の低地まで、変化に富んだ自然のなかに30以上の民族が暮らす。宗教的にはヒンドゥー教と仏教が混ざり合い、みごとな調和を保っている。

こうした自然、民族、宗教、文化の多様さがネパールの魅力だ。またネパールといえばヒマラヤでのトレッキングが有名だが、ジャングルでのサファリやラフティングなどさまざまなアクティビティも楽しめる。
基本情報
国名 ネパール 正式国名&英語表記 ネパール王国 Kingdom of Nepal面積 14.7万平方キロメートル 言語 公用語はネパール語。
このほか各民族によって話されている言語が50以上ある。
単位とレート ルピー(Rs)。1Rs=100パイサ(P)=1.5527円('05年6月現在)紙幣 紙幣:1、2、5、10、20、25、50、100、500、1000Rs硬貨 硬貨:1、2、5、10Rs

祝日 1/1元旦、1/11国家統一の日、1/29愛国者の日、2/19民主主義の日、3/25ホーリー、3/30ラーマ誕生日、4/13ネパール新年、5/1労働者の日、5/4花祭、5/9法制記念日、5/16仏陀の日、7/7国王誕生日、8/12聖縁結びの日、8/19クリュリナ誕生日、9/27ダサイン初日、10/2フルパティ、10/5勝利の10日目(ティカ)、10/25ラクシュミ女神供養祭(灯明祭)、10/26牛供養祭、10/27パイ・ティカ

電話番号国番号 977電話番号(公共) <警察署>カトマンズ市:4253997,4261945、パタン市:5621111、バクタプール市:5610956 <ツーリストポリス>カトマンズ市:4247041、ポカラ市:061-521087,520241 <消防署>カトマンズ市:4221117、パタン市:5621111、バクタプール市:5610049供養祭(灯明祭)、10/26牛供養祭、10/27パイ・ティカ

2006年4月 ネパール トレッキング詳細報告

1.初めに

ヒマラヤトレッキングに参加して

                                                              押 山 定 雄

 山を歩き始めて40余年、年月ばかり一人前で、大した山行歴も無く、年を取った山岳会員です。

 ヨーロッパ遠征以来の海外だというのに、トレーニング山行の富士山、男体山等にも参加出来ない状況で、体力的に海外遠征が可能なものか、迷いに迷いましたが、参加者が3名しかお断りづらくなり挑戦することにしました。

太平山トレーニングには週2回以上励みましたが、錘を10〜13キロに増やした頃(3月)に風邪を引き、その後体力不調でスタミナ切れ状態が続きました。こうなったら「努力と気力で行けるところまで行こう!」と腹をくくりました。「ながおか」さんには毎度のことながら申し訳ないと感じながら…。ラストチャンスとの思いで4月15日9時ごろ出発、成田よりネパールへ向けて飛び立ちました。
ネパールでは、道路に歩く人が多いように感じましたが、車とバイクは信号のない交差点を事故も無く走り抜けて行き、見ている私の方がハラハラしました。国民性の違いか、経済の違いか、舗装されていない道路をはじめ、文化の格差を実際に目の当たりにすると、日本人でよかったとつくづく安堵の思いが湧いてきます。のんびりとした現地の人々の生活を見ていると時の流れまで日本とは違うのかという錯覚さえ覚えました。
ヒマラヤでは石楠花の花が咲いていて、ちょうど今が見頃でしたが、雪を被っていてちょっとかわいそうな気がしてしまいます。雪の中にも関わらず、すれ違うポーターの中にはサンダル履きの人もいて、「寒そうだなぁ、滑らないのかなぁ?」など他人事にも関わらず余計なことを考えてしまいます。ポーターもいろいろです。
目の前に広がるパノラマは絶景で、世界に名を轟かせるヒマラヤを歩いているのだという手応えを体全体に感じさせてくれました。山道に点在するレストラン(兼小さなロッジ)では、食事の注文をしてから薪を燃やす山の調理、食事を口にするまでに1時間は覚悟しないといけません。
定年を迎えて1年の私が、最後の夢であるヒマラヤトレッキングに参加でき、多くの感動と景色を堪能できたことは最高の思い出となりました。高度5500mの空気を吸うことは叶いませんでしたが、充分に満足しています。
今回は3名での遠征でしたが、現地で6名パーティの行動でしたので、2名・1名 の別行動が出来たので助かりました。また、今回の行動中は禁煙を宣言し、全うできました。現在も禁煙を継続しています。今後は健康維持に努めようと心で誓いつつ、次の夢が見つかるまで、束の間の家庭サービスをしようなどと考えています。
2.行動詳細
1日目  4月15日(土)      <成田  →  バンコク>                                       「ながおか貞」 記
小山9:25−成田空港発16:55−バンコク空港着21:25
 「おしやま」さん、「ながおか」それぞれの家族に見送られ、成田空港に向け自宅を出発寸前、「忘れ物は無いね」といつものように荷物のチェック、私は「ありません」と返答。ところが、当の本人(「ながおか」)「あっ、俺バックどうしたっけ?忘れた」パスポートや書類の入ったバックを、玄関に置き忘れたのだ。車から降り、慌てて玄関に取りに行った。自宅出発後、しばらくして「ながおか」の携帯のベルが鳴った。「おしやま」夫人からだった。
「おしやま」さん宅の玄関に、登山靴が置いてあるとの事、「おしやま」さんが忘れたと思い、連絡してきたそうだ。別の登山靴を持参しているとのこと、良かった。
成田市内で昼食をすませ、ヨーロッパ遠征の時利用した駐車場に車を預け空港へ。
「おしやま」さんは、今回のトレッキングのために禁煙中とのこと、「90% 禁煙出来る」という本を、熱心に読んでいました。ようやく搭乗手続き、荷物の重量制限が厳しいと聞いていたので、それぞれの荷物を、一人23kg以内におさめましたが(機内持ち込みは別)タイ航空の受付カウンターでは、当日は計量しませんでした。こんな事なら、ネパールの人のために、もっと沢山の衣類を届けてあげられたのに!(ネパール航空の場合は、重量制限が厳しいとのことでしたが)
バンコクに向け出発。お楽しみの機内食は、白身魚の蒸し物(和食)またはオーストラリア産ビーフのタイ風グリーンカレーのどちらか。ビール・ワインも忘れず注文。機内食は、美味しかったのですが、お絞りがお香の匂いできつく、少々不快でした。(私だけかな?)
バンコクまでのフライト6時間、定刻どおり21時25分到着。(日本とバンコクとの時差は2時間)
今回、空港の外に出られたのですが、到着時刻が遅い事と費用節約のためステーションビバーグ。空港内での宿泊場所は確保したものの、肘掛つき長椅子のため横になれず、なかなか眠れません。向かい合わせの椅子の間にザックを置き、両足を椅子に乗せたりして、色々寝る工夫をしたのですが、旨い具合にはいかず、椅子の寝心地はさすがに悪く、熟睡できませんでした。(ステーション ビバーグは、こりごりだ!)長椅子下の絨毯に寝ていた「おしやま」さんと「ながおか」は、酒の力で熟睡していました。
2日目  4月16日(日)   <バンコク  →  カトマンズ>                                         「ながおか貞」 記
バンコク(10:30)−カトマンズ(12:35)1350mチェックイン前の待合室
 いつもの習慣で、AM4:30頃になると目が覚め、身体が自然に動きだします。しかし、二人はまだぐっすり寝ていたので、起きるまで待つことにしました。(これが以外と退屈だった)
6:00起床し、朝食(パン・クッキー・コーヒー)を済ませ、7:00に出発ロビーへ移動。
昨夜は、1階の待合専用フロアーで仮眠したので、2階出発フロアーに移動、その広さに驚きました。通路に高級品店や、みやげ物店などが、ずらりと並んでいてビックリ。その光景を目にし、ふとシンガポール空港を思い出しました。(バンコク空港の方が、店舗数ははるかにおおかったかな?)買い物好きの私の目が輝いたのだのですが、グッと我慢。ウィンドショッピングを楽しんだ後、ネパール行き36番ゲートに移動。
出発ロビーも非常にきれいで、清掃作業員がこまめに清掃していました。早めにゲート前に並ぶ。(機内持ち込みのザックが大きい為、早めに並び機内の荷物入れを確保)
定刻どおりカトマンズに向け離陸。カトマンズまで、3時間のフライト。かぼちゃの種をおつまみに、ビール・ワインを飲みながらくつろぐ。機内食は、チキンか魚のどちらかを選択。
カトマンズ空港到着、タラップに降り立つと、今まで嗅いだことの無い不思議な匂いが、漂ってきました。これが、不思議の国ネパールの第一歩です。入国審査を済ませ、荷物を受け取り出口へ移動。ここまで厳重なチェックでした。入国審査官に、笑顔で「ナマステ」と挨拶した。審査官も愛想良く「ナマステ」とかえしてくれた。
現地ガイドのキランさんと面識のある「ながおか」が、キランさんを見つけ声を掛けると、キランさんも「ながおか」を確認、笑顔で私たちに近づいてこられ、そして黄色い小花で作ったレイを一人一人の首にかけ「ナマステ」といって握手し、歓迎してくれました。キランさんとは初対面なのに、昔からの知り合いに会うかのような、そんな不思議な感覚でした。
空港の外に出ると、5,6人のポーターが私たちに近づき、親しげに「こんにちは、タクシー、タクシー」と声をかけてきました。私はてっきり、キランさんが一緒につれて来た人達だと思い、「こんにちは」と返答、そして、彼らが私のザックを持とうとするので、ザックを渡してしまいました。
彼らは、荷物をタクシーに入れると、一斉に手を差し出し「お金下さい。100円、100円」と言い出しました。あまり突然の出来事に、私は唖然とするやら、戸惑うやら。すぐお金を出せる状態ではありませんでしたので、渡しませんでした。すると、ポーター達は、タクシーのドライバーと一緒に、車の後方に座り込んでしまったのです。キランさんが、ドライバーと一人のポーターにお金を渡すと、ドライバーは納得したのか、ようやく車を発進してくれました。どうなる事やらと少々心配しましたが、タメル地区のホテルに無事到着。
ホテル タメールは、「ながおか」が3年前利用したホテルで、スタッフも「ながおか」のことを覚えていたようでした。立派なホテルではありませんが、室内は清潔で、何よりもスタッフが陽気で親切でした。
ホテルへ預けておく荷物と、トレッキングに必要な荷物を振り分けたりと、明日の準備を整えた後、タメル商店街へ出掛けたのだが、いつもなら大賑わいであろうタメル商店街も、ストライキの影響で店舗のシャッターが閉まり、閑散としていた。
かろうじて開いていたパン屋で、明日の朝食用菓子パンを購入(6個でRP236)、種類も結構豊富で驚きでした。(観光客、金持ち相手のパン屋かな?)両替屋も多数ありました。(ヤミ両替屋かも?)
通りの至る所にはごみが散乱していて、凄い匂いを放ち、目や鼻を覆いたくなりました。
又、そのごみの上にドンと寝そべっている牛、ごみを無心にあさっている野良犬に大変驚きました。ストライキでごみ収集できないのかな?
「おしやま」さんは、ホテルに戻る途中、民族楽器を売る物売りに、しつこく付きまとわれ、断るのに苦戦していました。
3日目  4月17日(月)  <カトマンズ = ルクラ = パグティン>                       長岡「さだこ」 記
カトマンズ 10:50 (1350m)−ルクラ Lukla 11:30 (2840m )−パグティンPhakding 15:55(2610m) 
4:00起床、朝食(前日に購入しておいた菓子パン・日本から持参したわかめスープを飲む。5:00に迎えに来るはずのキランさんが、予定時間をとっくに過ぎているのになかなかやって来ません。外人達は迎えが来て、次々に出発して行きました。「どうしたんだろう」と気をもんでいると、6:40ようやくキランさんが、二人の青年を連れやってきました。
6:50ホテルを出発し、カトマンズ空港へ向っ.チョブンルン村た。タメル商店街にでると、狭い通りは人とバイクで溢れ、ここから大通りに出ると、さらに賑やかさは増し、昨日の静けさからは、想像もつかないくらいの賑わいでした。
また、人、自転車、バイク、車が入り混じり、交通ルールなど無いと等しい状態に、唖然としてしまいました。そのような状況のなかを走らせる我々の運転手には、ただ驚くばかりでした。
カトマンズ国内線空港は、アンナプルナ、ダウラギリ方面の空港がストライキで封鎖されたため、急遽エベレスト方面に変更した人達で混雑していました。ルクラに飛ぶ飛行機は、数社ありますが、私たちは、ゴルカ(Gorkha)Airlinesを利用。ルクラ行きは午前中の便だけで、天候によっては、何日も飛ばない場合もあるとのこと。
私たちと同じ飛行機を利用するエベレスト遠征隊の装備、食料の積み込みが先で、私たちは、だいぶ待たされてしまいました。セキュリティチェックでは、ボディチェックや所持品のチェックが厳しく、これにも意外と時間がかりました。
9:50ようやく、ルクラに向け出発する時間がきました。私は、アシスタントガイドのドンバードウさんに日本語を教えていたので、キランさん、「おしやま」さん、「ながおか」が搭乗口に移動したことをしりませんでした。私達がいないので、キランさんが慌てて呼びに来てくれました。
アシスタントガイドのドンバードウさんは、日本語学校で日本語を勉強しているとのこと、つい私も、教える事に夢中になっていました。
飛行機は小型機で客室乗務員が1名乗っていた。そして、客室乗務員の案内で機内に乗り込むと、狭い通路を挟んで、左右に16・7席ほどの座席があり、座席指定はないので、それぞれ好きな場所に座りました。
カトマンズからルクラへ向かう時は、左側の座席に座ると雄大なヒマラヤの山々が見えると聞き、左側に座ろうと思いましたが、既に左側は満席でした。(残念)飛行機に搭乗したものの、なかなか離陸しません。10:20ようやくエンジン始動。スチュワーデスが、飴と小さくちぎった脱脂綿をトレーにのせて配り始めました。
「どうして、脱脂綿がのっているのだろう」としか思わない私は、飴を2個だけとりました。回りを見ると、皆、脱脂綿を耳に詰め込んでいました。(あっ耳栓なんだ)脱脂綿のない私は、すばやく、飴の包み紙を小さく丸めて両耳に詰め、指を差込んで耳栓にしましたが、エンジンの近くに座っていたため、エンジン音とプロペラの振動が、椅子から身体全体に伝わり、包み紙では耳栓の役目を果たしません。そこで、包み紙を耳に入れ込んだまま、耳たぶを折り曲げ、耳をふさぎ、そして両耳を押さえながら、窓越しに外を眺めました。
この体勢には、少々無理がありましたが、耳栓代わりにはもってこいの方法でした。私達の乗った飛行機は、レンガ造りの家並みと、赤茶けた段々畑の広がるカトマンズ盆地を通過し、数分で山岳地帯上空に入りました。
左側に座った人達は、これから見えてくるヒマラヤの山々を見ようと、顔を窓に押し付け外を眺めていました。
私は右側だったので、谷間に密集する民家や、山腹から山頂付近まで連なる段々畑、段々畑の中に点在する民家、段々畑や民家のそばを通る街道の景色に、「えー、こんな所に人の暮らしがあるのか」と驚きながらその景色に見入っていました。
やがて飛行機は、山の斜面にだんだんと近づき(山の急斜面に追突しそうで怖かったのですが、) 標高2800mにある谷を切り開いて作られた、飛行場(エベレスト街道の玄関口))に、11:00無事着陸。(滑走路が舗装されたのは、数年前だそうです。)
キランさんが、私たちを飛行場のすぐ前にタロコシ村のレストラン建っているロッジに、案内してくれました。ロッジに入ると中庭があり、十数人のガイドやポーターがトレッキング客を確保する為、待機していました。ガイドやポーターの手配をしていないトレッカーは、ここで直接交渉します。ホテル経営者御夫婦は、人当たりが良く親切でした。
キランさんは、ここでポーターを一名雇い、私たちの荷物をポータ―に預けました。高度順応のため、しばらく休憩した後、トレッキング第一日目の宿泊地パグティンへ向け出発。ポーターは、ドッコ(竹篭)にザックを入れ、籠を背負うのではなく、平たいひもで頭から籠をさげ、手にT字の杖を持って、私たちより先に出発しました。(そういえば、キナバル登山の時も、同じようなドッコで、荷物を担ぎあげていたのを思い出しました)
そして、キランさんが、私達に「ビスタリ、ビスタリ」と言って軽快に歩きだしました。
ルクラの飛行場を左手に見ながら歩いていくと、飛行場と隣接して、軍事施設がありました。そこを右手に進むと、ルクラのメインストリートです。狭い沿道には、日用雑貨品店にレストランやロッジ、土産物店などがずらりと並び、特に目立っていたのが登山用品店で、品数も豊富でした。(トレッカーに必要な装備は、全揃っている。ノースフェイスブランドが多かった。偽物?)
メインストリートでは、鼻水を垂らした子供達が、棒切れを股に挟み、右手に細長い枝を持ち、走りながら尻をたたき、楽しそうに遊んでいた姿がとても印象的でした。(遠い昔、日本でもよく見かけた光景)
ルクラの村はずれにゲート(村と村との境界線?)があり、銃を持った軍人が立っていました。彼らに向かって「ナマステ」と挨拶すると、笑顔で「ナマステ」と返事をしてくれました。ネパール情勢が不安定な為、警備をしているのでしょう。村はずれの丘から眼下を望むと、のどかな山村風景が広がっていました。丘陵地帯や山腹切り開き、耕された田畑と点在する民家の様子は、日本の山間部で見られる山村の風景と同じでした。ただ違うのが、ここは2600メートルの高地だということです。
ここから、チュプリ、キョンマ、タダコーラ、ガットの集落を経てパグティンまで行くのだと、キランさんが教えてくれました。ここからパグティンまで、200mの標高差を下ります。(下りといっても、緩やかな下りでした。)
沿道に咲いていた、背丈の低い、桜草に似た植物の名前をキランさんに聞いたところ、ネパールでは、「パルミラ」と呼ぶのだと教えてくれました。そして「今年は寒さが続き、作物や植物の生育が遅れている」と言っていました。
丘陵地帯や山腹を切り開いて作られた田畑の作物は、確かにあまり生長していませんでしたが、ネパール国の花、ラリグラス(石楠花)は満開で、私たちの目を楽しませてくれました。標高が高くなると、ラリグラスの花の色が変わるのだそうです。私の背丈の2倍はありそうなラリグラスでした。
パグティンまでの間の集落で(どの集落だったか覚えていないのですが)、二日前に火災があったそうで、民家が10軒も焼け落ち、村人が焼け跡の片付けにおわれていました。(原因は、漏電?)
沿道を歩いていると、行きかう現地の人や他国のトレッカー達が、「ナマステ」と声を掛けてきます。特に子供達は、満面の笑みを浮かべながら挨拶をしてきます。時には日本語で、「こんにちは」と言ってきたりもし、あまりにも流暢な日本語に驚きました。そして素朴な幼子の笑顔や挨拶に出会い、元気を貰いました。
街道を歩いると、チョルテン(仏塔)、マニ車、メンダン(マニ石の行列)などのチベット仏教の表象物があり、必ずその左側を通りました。(左側を歩くのが、宗教上のしきたりだそうです)  私は時々、マニ石の前で立ち止まり、「どっちだったっけ」と頭を悩ませていましたが・・・
途中の集落に、りんごの木がありました。この農園は、田部井順子さんが支援しているのだと、「ながおか」が教えてくれました。(NGO HAT-J)
13:30 タダコーラ(2500m)休憩・昼食
ここは、風の通り道なのだそうだ、それでレストランの名を、風の茶店 (バッティ)にしたのかな?ここの裏手のラリグラスは、真っ赤な花を咲かせ、東の谷奥には、コンデ・リ(5813メートル)が高くそびえ、美しい景色を見せていました。(山の名前をキランさんに教えてもらった)
こんなに素晴らしい景色のなかで食事ができる幸せを、有り難く思いました。ミルクティ・ブラックティ・野菜チャーハン・ダルスープを注文しました。私は腹ペコだったので、山盛りのチャーハンをあっという間にたいらげてしまった。
私達夫婦が早食いなので、「おしやま」さんは唖然としていました。大食い、早食いはいつもの事だが・・・・
「おしやま」さんは、ゆっくりと味わって食べていました。食事やお茶の時間になると、キランさんとドンバードウさんが、いたれりつくせり、私たちの世話をしてくれました。
茶店の前を、2頭のゾッキョ (ヤクとウシをかけあわせた一代雑種。シェルパ語で牡牛をゾッキョ、牝牛をゾムと呼ぶ) がうろうろしていたため、茶店の女主人が、石を振りかざし、ゾッキョを追い払っていた姿が滑稽でした。
私たちが休憩した数メートル下のレストラン(シェルパ・キッチィン)では、大勢の外国人パーティが休憩していました。そこは、派手な茶店で、大型のビーチパラソルが3基立ててありました。
14:55 タダコーラ出発。
ここからパグティンまでは、100mの緩やかな登りです。ドードコシを左岸に、ガートの集落まで右手山腹をぬうようあるきました。
パグティン手前に、大きなマニ石とチョルテンがあり、チョルテンでは、マニ車を回しながら通りました。キランさんは信仰深く、唱えことを口にしながら、マニ車を回していました。私も、キランさんの後ろを歩き、同じようにマニ車を回し「南無妙法蓮華経」を唱えながら通りすぎました。
ルクラからパグティンまでの間、トレッカーの荷物を背負ったポーターとは別に、竹篭に食料品や日用雑貨品を山積みにしている人、農作物を籠いっぱいに詰め込んだ人、箱入りの飲み物を数段重ね背負っている人、建築用資材(長さ3,4M)を担ぎ上げている人、ゾッキョに荷物を運ばせている人などとすれ違い、ここには、まぎれもなく山岳民族の暮らしがあるのだということ実感しました。 
15:55パグティン(2610m)到着
パグティンの集落に入ると、二階建て、三階建ての立派なホテル(石積み)が並んでいました。エベレスト街道は、人気のトレッキングコースなので、宿泊施設も増えているそうです。
パグティンの入口からしばらく歩いた所に、昔ながらの民家が立ち並ぶ街道沿いに今日の宿はありました滞在するロッジは、築40年だそうで、食堂の壁に、40周年を祝う垂れ幕が掲げてありました。(40周年記念パーティが開かれたそうです)
私たちの部屋は、街道沿いの角部屋で、部屋の窓からは、街道を往来する人達や沿道で遊ぶ子供達の姿や、川向の山がよく見えました。「おしやま」さんは、東側の部屋に案内されました。
夕食まで充分時間があったので、「おしやま」さんは散歩に出掛けていきましが、私は、荷物の整理をしたり、行動記録を書いたりしていました。(行動記録がスムーズに書けるようにと、ICレコーダーを持って来ました)
夕食前に、キランさんも一緒にウイスキーでネパール料理のフルコース(ビールを飲んだ後で、食べ切れなかった)乾杯。今晩のメニューは、(焼そば・野菜スープ・ダルスープ・水牛入りスープ・目玉焼きチーズ入り焼そば)
焼そばの麺は、ソーメンに似た麺で、味付けが薄味だったので、塩をふりかけ食べました。「おしやま」さんが注文した水牛入りスープは、肉が硬かったようで、噛み砕くのに苦労していました。食後に、キランさんのおごりでネパールの酒をご馳走になりました。(ラム酒で美味しかった)
22:00就寝、水分を充分すぎるくらい補給している為、夜中に数回目が覚めた。
4日目  4月18日(火)パグティン → モンジョ → ジョサレ → ナムチェバザール  「ながおか貞」 記
パグティン9:17(2610m)−モンジョMonjo 11:00(2840m)―ジョサレJorsale 11:37/12:45(2805m)−ナムチェバザール Namche Bazar 15:30(3440m)                                 
6:30起床。昨夜からの雨も小雨になって.ルクラからエベレスト方面へいた。ロッジ真向かいの山肌が雪で白い。「これじゃ、ナムチェは雪だな」と「ながおか」が言った。ポーターが、私達のザックを持って一足先に出発する為、荷物を先にまとめておいた。
8:30朝食(チャパティ・ジャム・チーズ入りチャパティ・紅茶)  ポーターは、一足先に出発して行った。私達も9:17に小雨の中、出発した。
パグティンの村はずれに架る吊橋は立派だった。パグティンからベンガールまでは、300m程の緩やかな登りで、ドードコシの右岸の松や杉などの自然林の中の高巻き道を、縫うように進みました。ベンガールの谷奥には、タムセルク(6623m)の雪峰がのぞき、思わず「すごーい」と歓声をあげる。
このベンガールから、雄大な山岳展望がはじまり、ここは、ヒマラヤなんだという実感が沸きました。ここの村はずれからドードコシを左岸に渡り、モンジョまで50メートルほど下り、それからひと登りでチェモアの村に着きました。(モンジョには、小さいけれど、立派食堂で持参のウィスキーを飲むなゴンパ(寺院)が建っていました。)
モンジョ(2840m)到着ここには、サガルマータ国立公園管理事務所があり、入園料を微収されます。
我々はキランさんが、事前にカトマンズで手続きを済ませていたので、その証明書を係員にチェックしてもらうだけでした。モンジョの谷奥には、クンビラがそびえていました。(キランさんに教えてもらった)
11:30昼食  パグティンからモンジョまで、ノンストップだった。バッティに入ると、数石楠花(ラリグラス)人の外国人がストーブを囲み、暖をとっていました。小雨の中を歩き、身体が冷えきっていたので、ホットレモンで身体を温め、そして、昼食(ベジタブルカレー・ダルスープ・玉子入りチャーハン・チキンスープ)。
休憩時、熱心に読書をしている外国人の姿が印象的でした。(結構分厚い書物でした)12:48バッティ出発、しばらく歩くと、雨がみぞれに変わりました。何度かアップダウンを繰り返しながら先へと進み、北に向って進んでいくと、正面にクンビラ5671m、タムセルク6686mの白峰が迫ってきました。
2920mでドードコシの吊橋を渡ると、ここからナムチェまでは、標高差600メートルで、2時間の登りだ」と、キランさんが言いました。橋を渡って間もなくだったかと思いますが、ここで初めて、ナムチェ方面から下ってきた日本人の中高年パーティに出会いまし雪のナムチェバザールた。川崎からきたそうで、賑やかなパーティでした。「頑張って」と、お互いに声を掛け合い別れました。
北に向ってどんどん進んでいくと、途中、エベレストやローツェが遠望できる所があり、キランさんが立ち止まり説明してくれましたが、ガスがかかり山は見えませんでした。
15:30ようやく、雪で真っ白のナムチェバザールの村に入りました。ここはクーンビラ(5761m)の山裾にあり、シェルパの故郷として知られています。チョルテンの脇を通り、山腹に建つ3階建のロッジ(ホテル エベレスト)へ向いました。15:47ロッジ到着。ロッジは、眺めの良い場所にあり、ナムチェが一望できた。
私達は、最初二部屋が与えられたが、満室で宿泊できないトレッカーがいたので、3人一部屋に変更になった。荷物の整理後、雪が降り寒いので食堂へ行き、ビスケットを茶菓子にノンビリ過ごしました。
18:30には夕食にしたいと従業員に告げ、メニューを決めてから部屋に戻りました。(食べるものを先にオーダしておかないと、オーダしてから品物が出てくるまでの時間が非常に長いのです。料理のしたこしらえが無く、全てオーダを聞いてから料理を始めるので、とにかく時間がかかります。これも冷蔵庫が無いので致し方有りません)
夕食の時間になり食堂に行くと、すでに大勢の外国人がストーブを囲み談笑していました。 夕食は18:30の予定なのに、なかなか注文した料理が出てきません。他の宿泊客も次々に入ってきました。やはり食事がきたのは、一時間後でした。「ネパールはどこでもこんな具合?」と三人で苦笑しました。
「ながおか」と「おしやま」さんがウィスキーを飲んでいたら、ポーターもウィスキーが飲みたいらしく、自分の飲んでいる紅茶に少しウィスキーを入れて欲しいと言ってきました。(雪で冷え切った身体を酒で温めるため?)「ながおか」が「いいよ」と彼の持っていたカップにウィスキーを注ぐと、彼は嬉しそうに両手を合わせ「ナマステ」とお礼をいいました。夕食は、(ネパリ―セット、ごはん、ダルスープ、カレー、ベジタブルスープ)
「おしやま」さんは高度障害のためか食欲が無かったので、日本から持ってきたアルファー米、ふりかけ、永谷園のお味噌汁を食べました。(体調がすぐれないときは、日本食が一番)キランさんは友人の所へ遊びに行き、20時ごろ帰ってきたのでしばしの間酒タイムとなりました。キランさんは、お酒が入るとますます陽気になります。   21:00就寝
5日目  4月19日(水)高度順化(ナムチェバザール  →  クムジュン  →  クンデ) 「ながおか貞」 記
ナムチェバザール(3440m) 8:30−クムジュン Khumjung (3780m)10:30/12:45−クンデ Khunde (3840m)14:00―ナムチェバザール16:05(3430m)
6:15起床・8:30出発、昨夜からの雪が今朝クンデの村は15cm位積もっていました。ロッジの裏手に道があり、そこから標高差100mのエベレストビューホテル(3840m)方面に歩き出した。
キランさんと私達は先頭に、「おしやま」さんとドンバードウさんは後方からゆっくりと高度を上げていきました。ガスの切れ目から雪で真っ白に染まったナムチェの美しい景色が眼下に広がり、山道には外国人パーティもゆっくりした足取りで、登っている姿がみえました。
私達が登っているところは生活道路なので、行きかう人が重荷を背負い歩いています。エベレストビューホテルに宿泊する人達のための荷物を、一生懸命荷揚げしていた人もいました。
雪に対しての足元の備えが無い少年は、雪が靴に入っても足が濡れないように、素足にビニール袋を履き、その上に靴を履いていました。
途中で出会った高齢の外国人(ニュージーランド)の方はナムチェに40年も住み、シェルパのドクターとして頑張っているとキランさんが言っていました。
私はこのあたりでお腹の具合が悪くなり、トイレに行きたいとキランさんに伝えましたが、トイレはもう少し先に行かないと無いとのことで脂汗ものでした。少し先のキランさんの知り合いのバッティで、トイレを借りてくれて事なきをえました。
10:05、雪が降りガスの中、エベレストビューとクムジュンの分岐に来たところ、後方から二人連れの外国人がやって来、陽気に「ナマステ」と挨拶してきました。私たちも挨拶を返し、どこの国か尋ねたところ、アメリカで、これからクムジュンに行くとのこと。
キランさんが「今日はこんな天気で、エベレストビュ-ホテルに行っても展望はないので、クムジュン方面に変更しょう」と言いました。ここからクムジュンまで30分の下りだそうです。先に下り休憩中のアメリカの二人に声を掛け、さらに下りました。
クムジュンは標高3,790mで、クンビラの南麓斜面に広がっています。ここから眺める山は東にアマダムラム(6812m)、カンテガ(6685m)、西にロールワリンの山並み、北にクンビラ(5716m)を眺めることが出来るそうですが、あいにく天候が悪くヒマラヤの山々はガスの中でした。戸数はナムチェより少ないが、面積は広く、周辺の村々からヒラリー学校(小・中・高)へ通って来るそうです。
村の入口にはメンダン(経文石)を並べた細長い壁が続いていて、道の途中に一本立派な街灯が立っていました。雪で真っ白に覆われた村は、早朝の為人の姿がありませんでした。またク―ンプ地方で一番チョルテンの数が多く、大きく、しかも頭部が金色でやけに立派でした。(信仰心が強く、豊かな村なのだなと感じました)
クムジュンゴンパに立ち寄り、キランさんイェティ(雪男)の頭が御布施を払い、イェティの頭皮を見せてもらいました。(30cm四方の正方形のガラス張りの箱の中に、鍵を掛けて展示してありました。)私はイェティだと信じ、おごそかに拝見しました。キランさんは信仰心が強いので、ここでも熱心にお参りしていました。その後キランさんの知り合いのバッティで昼食をとりました。(2時間ほど休憩)
ここのお宅は裕福なようで、カラーテレビとDVDデッキがあり、休憩の間エベレスト遠征のDVDを見せてくれました。女将さんの笑顔が、とても素敵でした。(記念に、サイン帳に記帳)
クムジュンから積もった雪に足をとられながらの雪面歩行で60m高いクンデに向う。クンデ村もクムジュン同様、生活道は入り組んでいて、まるで迷路のようでした。
14:30頃からようやく天候も回復し、時々青空が顔を出すようになりました。子供達が傾斜のゆるい狭い路地の雪を固め、スキーの真似事をしていました。あまりにも楽しそうにスキー遊びをしていたので、立ち止まりしばらく眺めていました。
クンデから傾斜が無い山道を登ると飛行場があるシャンボチェに出ます。ここからのナムチェの景色は素晴らしかった。下山途中、一瞬でしたが雲の切れ間に抜けるような青空が見え、そしてクンビラ (5761m) の美しい岩峰がそびえていました。その美しい景色を写真に収めようと私は、慌ててシャッターを押しました。
6日目  4月20日(木)ナムチェ → キャンヅマ → サナサ → プンキテンガ → タンンボチェ 「ながおか貞」 記           起床5:45−朝食6:30−ナムチェ7:20―プンキテンガPhunki Tenga 10:20・11:20(3250m)−タンボチェTyangboche 14:30(3867m)
7:20ホテルを出発。昨日からの雪もやみ、快晴とまではいかないタンボチェへの途中のチョルテンが、まずまずの天候だ。昨日の雪が凍っていて、歩きづらい。ホテルの裏手をシャンボチェの丘方面へ登り、途中から東の方角へナムチェバザールの村を眼下に、クンビラ山腹をトラバースしながら歩く。
山道から昨日歩いたクムジュン、クンデ方面を眺めると、クンビラが美しくそびえていた。ナムチェの上部をさらに進むと、ドードコシが右手眼下に見える。ドードコシ側は、南斜面のせいか雪が全く無く、緑の渓谷が美しかった。  
峠に2003年にエベレスト登頂50周年記念で建てたチョルテンがあり、ここで休憩する。ここから、アマダブラム(6856m)がよく見えた。天気がいいので、ヒマラヤの山々がくっきりと見え美しい。ここからキャンズマを通り、チベッタン バザールのあるサナサの集落を通る。サナサでは装飾品などをたくさん並べて店開きしていた。テシングからドードコシを渡り、ここから登りが始まった。
10:20プンキテンガ到着。戸外のテーブルに席をとり、ここで昼食だ。前には小川が流れ、バッティの裏手には、うすピンクのラリグラスの花が満開だった。小川には、水車を利用した大型のマニ車が軽快に回っていました。
11:20テンボチェへ向け出発。プンキテンガ(3250m)からタンボチェ(3867m)までは、標高差600mの登りがあり、ビスタリ、ビスタリで登って行った。キランさんのビスタリは、私達より早めのビスタリだ。山道には所々雪が残り、歩きづらい。ドードコシを右手眼下に、山腹をトラバースしながら歩く。アマダブラムを含め、ヒマラヤの山々がほんとうに美しい。南斜面は針葉樹林とラリグラスが入り混じり、美しいコントラストだった。
14:20タンボチェの入口に到着。タンボチタンボチェからのエベレスト 真中の頭を出しているェ手前で、ポーターが空身で私達を迎えにきえくれました。(気をつかってくれ、本当に親切なポーターだ)ゴンパの前で、数人の若い(少年といってもよいだろう)ラマ僧が外国人達と一緒に雪合戦を楽しんでいました。「ラマ僧も雪合戦するのだ」と意外に思った。14:30に宿泊所到着。4,5畳ほどの部屋へ案内されると、窓を正面に3個のベットが並んでいました。窓からは、エベレストが見えるのだそうですが、雪が降っていて見えませんでした。「おしやま」さんが、「雪は、もうたくさん」と言っていました。私も同感。荷物の整理を済ませ、食堂へ移動。先客の外人が、本を読んだり、行動記録でも付けているのか、ペンを走らせていた。
15:00頃、二名のトレッカーが、「これからナムチェバザールへ下る」と言って食堂から出ていきました。これからだと、ナムチェに着くのは18:00頃になるだろうな。軽装で大丈夫?今度は、16:00頃、ドイツ人のグループが、ガイド無しでやってきました。食堂は、大勢の宿泊者で大賑わいでした。
早めに夕食の注文し、私と「おしやま」さんは部屋に戻り、寝袋にもぐりこんだ。しばらくして、キランさんと「ながおか」が「エベレストが見える」と呼びにきました。ローツェの奥に、わずかに見えるエベレストに大感激。「おしやま」さんは、ベットから窓越しにエベレストを眺めていました。今日は、宿泊者が大勢なので、食堂の座席を早めに確保しなければなりません。30分前に食堂に行くと、既に食堂は先客でいっぱいでした。考えることは、皆同様なのです。19:00頃部屋に戻り、明日の準備をし、19:30頃就寝。
7日目  4月21日(金)     タンボチェ →  ディンボチェ               「ながおか貞」 記
タンボチェ7:30(3,930m)− ショマレ9:10/50(4040m)− オルショOrsho 11:30/13:45(4085m)−ディンボチェ Dingboche 15:20(4410m)                              朝目覚めると雪はやんでいた。写真撮影の為外に出ると、既に先客が一人いて、立派なカメラで撮影していた。6:00に、ゴンパのお経が始まった。出発の準備を済ませ、朝食をとる。ポーターは先に出発していった。キランさんが呼びに来てくれると思い、食堂でノンビリしていたら、
「おしやま」さんとドンバードウさんは、もう出発 ディンボチェに向うしたとのこと。私達も、タンボチェの広場を下り、左下の谷へ向って下降しながら二人の後を追った。雪はやんだが、山道はアイスバーンなので、滑ったり、転んだりしないように慎重に歩いた。別パーティのポーターが、重荷を背負ったまま、何度か転んでいた。重荷で起き上がるのは、大変な様子だった。谷を下るとイムジャコーラの橋を渡り、ここから登りだ。
パンボチェを通り、9:10ショマレで40分ほど休憩。ホットレモンが美味しかった。オルショに11:30到着。イムジャコーラをはさんだ向かい側に、アマダブラムがそびえ、北の方向にはプモリがわずかに顔をのぞかせ、美しい景色だった。
私たちは、川沿いに建てられた大型ビニールハウスで、休憩、昼食をとった。アマダブラムの山腹にヤクの姿が見えた。キランさんが、ヤクは牡、ナクが雌と教えてくれた。教わるまで、牡も雌もヤクだと思っていました。
ディンボチェに向う到着後すぐに食事を注文した。一時間過ぎてもなかなか食事が出てこない、やっと、「おしやま」さんが注文したチーズマカロニが来た。次にミックスベジタブルライスとフライドポテト、15分後にホットケーキが来た。一品ずつ調理しているので、時間がかかったようだ。キランさん達の食事も済み、13:45出発。

オルショでは、ものすごくノンビリの三時間の休憩だった。ディンボチェまで残り2時間の歩行だそうだ。ビスタリ、ビスタリで残りを歩く。山道の雪が解けて、ぬかるんでいる。ヤクの糞を踏まないように足元を気にしながら歩いた。糞を踏んだら臭くて大変な事だが、運がつくかも。エベレストから流れてくる川とアイランドピークから流れてくる川の合流地点に来た。とてもきれいな景色だった。ここから緩やかな登りになった。

14:13チェクロで休憩、左手の岩に、カラーで仏様が大きく描かれていました。途中ペリチェとディンボチェの分岐となり、ディンボチェ方面へ下る。右手にアマダブラムがそびえている。パンボチェから見たアマダブラムの山容と違っていた。ここからディンボチェまで下降。
15:20ディンボチェ到着(4410m)。ここの女将さんは、愛想良くはなかった。夕食時、日本人客が一名食堂へ入ってきて、私達が日本人と知り、話かけてきました。ネパールは、今回で8回目だそうで、これから2ヶ月ネパールに滞在するのだと言っていました。(東京小平の小林さん、73歳)彼の話は、大変興味深く、時間を忘れ聞き入っていました。21:00就寝
8日目  4月22日(土)高度順化 ディンボチェ7:45(4,343m) → チュクン Chhukhung  10:30(4730m)  
                                                   「ながおか貞」 記
今朝も6:30にキランさんが起こしにきてくれた。今日は、チュクンまで400mの高度順化だ。朝食(トースト2枚、目玉焼き、ケチャップ味の大豆煮、ブラックティ)をすませ、7:45出発ロッジ裏手から、数件の民家の前を通り、アイスバーンの山道を、滑らないように慎重に歩いた。

右手にアマダムラムを望み、山道と平行に ロブジェに向うイムジャコーラが流れている。この時間帯に、チュクン方面に歩いているのは、私達のグループだけだった。30,40分経過したところで、チュクン方面から2名のトレッカーとすれ違った。小川を2,3度わたり、雪原の中のトレースを、キランさんの後について歩いた。ヒマラヤヒダや懸垂氷河が素晴らしかった。

10:30バッティ到着。外人の先客が一名休憩していた。東にはアイランドピークがわずかに顔をのぞかせていた。ロッジ東西南面ガラス張りで、部屋からもヒマラヤの素晴らしい景色を堪能することができた。「ながおか」両名は、頭が締め付けられしばらく孫悟空状態であったが、10分ほどで、元の状態に戻った。
「おしやま」さんは疲れていたようで、長いすに横になり昼寝をした。例によって昼食までに時間がかかり、ノンビリする。天気が良ければもう少し登ったが、曇っており、寒いのでこのまま
ディンボチェへ戻る。
9日目  423日(日) 晴 夕方 小雪                                                                      「ながおか」 記
起床 5時30分   朝食 6時30分  ディンボチェ Dingboche(4410m) 発 7時20分  ペリチェ Pericheからの道合流 940分   トゥクラ Tukla (4620m)昼食 945分〜1115分  ロブジェ Lobuche (4910m) 13 9
朝食に蒸したジャガイモとゆで卵 2個を注文ペリジェの村する。ジャガイモは大きなものが皿に14、5個盛られており、塩をふりかけ4、5個も食べると腹一杯になる。卵は日本のSサイズ程度。それに紅茶を2杯飲む。

一昨夜知り合った東京小平の小林さんは、いつも朝食にジャガイモとヤクチーズを食べ、余ったジャガイモは昼食に持って行くという。我々は持って行くにも手段がなく、余ったジャガイモをキランさん、アシスタント ガイドのドンバードゥさん、ポータに食べてもらう。
 ペリチェを眼下に見る尾根トラバースルートを歩く。ヘリが飛んで来て、2、3回旋回し、降りたと思ったらすぐさま飛び立っていった。キランさんに聞くと、高山病になった人をペリチェの診療所からカトマンズに運ぶレスキュウ用ヘリとのこと。高山病で重体の人は一刻を争うので、ヘリの出番となる。
 アラスカ マッキンレーのアタックキャンプでも重度のロブジェ入口のチョルテン高山病になった日大パーティの人を、米軍ヘリが夜中(と言っても白夜の為、明るい)飛来し、寝ている我々はうるさいなと思っている間にアンカレッジの病院に運んでいった。
 トゥクラでまだ早いがこの先ロブジェまでロッジが無い為、昼食をとる。昼食が出来るまで、紅茶を飲んで待っているとこれから登る人、下山する人、20代から60代まで様々な年代の男女が入れ替わり立ち代り、ロッジで休憩する。
 ここからロブジェまでクーンブ氷河末端のモレーンを約300mゆるやかに登る。その途中に峠が有り、タルチョがはためき、チョルテンが有る。また無数のケルンが積んであり、これらはエベレスト登山で遭難したシェルパの墓とのこと。またキランさんが今回エベレストのアイスフォールの崩壊で、シェルパが3人死んだと話をする。 正面にプモリ ( 7165 m )、左側にロブジェ イースト ( 6119 m ) が見える。
 ロブジェ ロッジの管理人は同じマガール族でキランさんの娘婿だそうだ。登山シーズン中にこのロッジに来て、オフの時は村に帰っていく。ロッジの二人部屋は非常に狭く、ベッドの間の通路は40cm程度で、物を置くスペースもあまりない。
 14時過ぎフランス語を話すパーティ十数人が昼食の為、食堂にやって来た。テント泊りの彼らにはコック、キッチンボーイがついており、天気が良ければコックが作った料理を外で食べるが、今日のように寒い日にはいくらかのお金を払い、ロッジの食堂を借りて食事をする。この為、食堂で談笑していた宿泊客は隅っこに追いやられた。

このネパール人ガイド(シェルパ?)は得意そうに(私には偏見かもしれないがそう見えた)大声でフランス語を話し、煩くてたまらない。昼食をすまし、彼らが帰っていくと元通り静かになった。ガイドも世界各国の人間を相手にするので、それなりに語学の勉強しているようだ。現にキランさん、アシスタント ガイドも「日本語を話そう」と書いてあるネパール語-日本語の本を持ち歩き、よく日本語の意味を聞いてくる。
 食堂の隅っこに30年前の遠征の時のサーダ-のパサンに似た若いシェルパが座っていた。それで、多分親父はパサンだろうと思って、親父の名前、出身地、年齢の話をした。残念ながら名前も違っていたし、年齢も彼の親父のほうがいくらか若かった。それにしても体形といい、顔といいよく似ているなあ!(これから先、日本のTVでよく見かける芸能人に似たネパール人を何人も見かける)
夕方6時過ぎ、若い日本女性がガイドと疲ロブジェれた顔で帰ってきた。聞けばカラパタールとエベレストBCを12時間かけて歩いて来たと言う。昨年もここに来たが高山病がひどく、即下山したので、今年はリベンジだそうだ。
大阪の貝塚に住み、山は3,4年前からハイキングの経験しかなく、ヒマラヤも本やインタ-ネットで調べた程度の知識で、昨年も今年も一人で来ている。海外旅行が趣味なので、旅行の一環の軽い気持ちで来ているように見える。
「おしやま」さんは体調不良の為、明日、明後日をここで待つことになった。
10日目  424日(月) 晴 夕方 小雪                                                                    「ながおか」 記
起床 5時   朝食 630分  ロブジェ Lobuche (4910m) 717分  ゴラクシェプ Gorakshep (5150m) 935分〜1035分    エベレストBC5380m1255分〜1340分  ゴラクシェプ1547
 昨夜は20時に寝て、23時半に息苦しくて目が覚める。寝返りをするとさらに息苦しくなるので、仰向けのまゴラクシェプま眠気が来るまで待つ。眠気がなかなか来ない1時過ぎ、何度か試しているので効かないことが判っているが、藁をもつかむ気持ちでバッファリンを飲む。(頭痛薬だから神経が鈍り、少しでもこの息苦しさが解消され、眠ることが出来ればと何でも良いから薬に頼ってみた)
 羊も一匹から何百匹も数え、それを繰り返す。その間行きたくも無いが、気分転換にトイレに4回行く。「さだこ」もあまり眠れなかったと言っている。3時半過ぎ、ダイアモックス1錠を試しに飲む。しばらくすると呼吸が楽になり、いつの間にか寝てしまった。
毎回高所に行った場合の私の高度の影響は最初に軽い下痢が有り(今回は無かった!)、食欲不振や頭痛等は無く、順化の調子が良いな!と思っていると睡眠障害になり、夜中なかなか眠ることが出来ない。
ダイアモックスは今までの高所登山で何度か持参しているが、薬に頼るのは嫌なので飲んだことは無く、今回初めて飲んでみた。行動中、手足の指先が少ししびれる副作用が有るが、高度順化の効果は大である。
ゴラクシェプへ行く途中で野ネズミを見る。ゴラクシェプにはロッジが2軒有り、下の方の大きなロッジ(スノーランド イン)に泊まる。部屋に荷物を置き、昼食のマカロニを食べ、クンブ氷河沿いにエベレストBCに向う。途中大きな音がし、雪崩がありビックリする。雪崩も何日も高所で過ごすと頻繁に周りでエベレストBC(テント村)あり、そのうちにあまり気にならなくなる。
12時13分 すれ違った15、6人のパーティの頭上から数個落石があった。幸い人には当たらなかったが、氷河が融け、混じっていた石が落ちてきたようだ。我々も帰りにここを通る時には気をつけなければならない。
睡眠不足の身体には、BCまで非常に遠く感じ、ボーとした頭で行動する。BC直前、墜落し部品の大半は持ち去られた大型ヘリの残骸の横を通る。BCには目見当で200張りの大小の様々なテントがあった。念願のエベレストBCをエベレストBC目の前にし、大感激である!
アイスフォールの上部はガスがかかっていてエベレストも何も見えないが、アイスフォールの下部を下りて来ている人達が見える。テントの回りに各国の旗が掲げてあり、日の丸を探したが見当たらなかった。3ヶ所に韓国の旗が見える。
サッカーボールをハーハー言いながら蹴りあっている若者がいる。若さだなあ!自分にはもうこの元気は無い。順化していない私は、睡眠不足と高度の影響で頭がボーとし、しゃべるのもおっくうだ。
ハーネスやアイゼン、ガチャ類を付けた外国の登山隊のメンバーとすれ違う。十数年前であれば、同じような格好でここかチベット側を歩き回っている自分を想像したり、エベレスト頂上直下のヒラリーステップで順番待ちをしている夢も見たが、今はエベレスト登山に価値を見出せず、モチベーションも上がらない。
BCの石を拾い40分程いて帰る。帰りは惨めであった。ちょっとした登りにも足が動かないし、乾燥し、冷たい空気に喉をやられ声もかすれ、おまけに咳まで出だした。「さだこ」も同様にピッチが上がらない。今日が今まで一番疲れた。夕食後、ダイアモックスを飲んで寝る。
11日目  425日(火) 晴 夕方 小雪                                                                   「ながおか」 記
起床 5時   550分発  カラパタール Kala pattar (5545m)頂上 719分〜55分    ロッジ 820分〜937分  ロブジェ1126
 昨夜はダイアモックスのおかげで、11時30分、4カラパタール頂上 (後ろはプモリ 7155m)時のトイレ以外はぐっすりと眠ることが出来た。朝食はカラパタールから帰ってきてから食べることにし、ミルクティを飲み出発する。最初は急登に身体が慣れていないせいか苦しかったが、なだらかになった所で前の数人を追抜き、一番にピークに立つ。ルートはまさに夏の富士山と同じで、機械的に前に足を出して行くといつの間にかピークに着いているという技術もなにも要らない容易なルートだ。
最初の斜度が25度程度で、所々雪が残って滑りやすい所もあるが、体調さえ良ければ誰にでも登れる。ピークは2,3m岩場を登ったところにあり、一人が立つのがやっとで両側がスッパリ切れている。私が一人で立っているとキランさんが心配し、早く降りて来いと言う。みんなはその手前で止め、記念の写真を撮る。

 カラパタール頂上我々も何枚も写真を撮り、風が無い岩陰で休む。後で登って来たアシスタント ガイドがホットレモンをロッジから借りてきたポットに入れてきたので、それを飲みビスケットを食べる。

昨日行ったエベレストBCを眼下にし、右からヌプッエ 7879m、ローッエ 8516m、エベレスト 8848m、チァンツェ 7550m、プモリ 7165mを見渡す。今日は天気が良く、360度見渡せる。


帰りは25分でロッジに着き、朝食にジャムやバターを塗ったチャパティとゆで卵を食べる。ロブジェに戻る途中、形も大きさも雷鳥に似た鳥エベレストを見かける。(多分雷鳥でしょう) 「さだこ」は風邪気味で熱が有りいくらか疲れており、また「おしやま」さんの体調も思わしくないので、ペリチェに行くのを止めロブジェに泊まる。


ハンガリーとイタリアのパーティがいて、イタリア語は映画やTVで耳にしているので、意味不明だがイタリア語で喋っているなあ程度は分かるが、ハンガリー人が喋っている言葉は本当に初耳である。イタリア人が話しているグラッチェという言葉を何度も耳にする。

12日目  4月26日(水)
 晴 のち曇り、雨               「ながおか」 記                    
 
727ロブジェ発  峠 8 3分   トゥクラ Tukla 827   オルショ Orsho (昼食) 115分〜1244分  パンボチェ Pangboche 3985m)着14
昨夜ダイアモックスを三夜続けて飲む。 ロブジェ方面寝付きも良く、10時半、2時、4時と3回トイレに起きたが、その後はすぐに眠れ、効果大である。夕食後すぐに飲むと、あくる日の手足の指先がしびれる副作用も小さいようだ。朝食にジャガイモとゆで卵2個を食べる。
ペリチェに行く途中、チョラ ラ パス(5680m)という峠を越えて、ゴーキョに直接行くルートが右手に見える。ここを通れば2日短縮出来るが、高度が高いし、雪道を歩かなければならない。ペリチェ手前で、このルートに向う外人カップルに出会った。途中テントを張り、寒さをしのぐ為マットの下に柴を敷くと言っていた。
キランさんがペリチェは風が強く寒いと言っ.パンボチェ(3985m)ていたが、確かにその通りで寒い。谷間の風の通り道であろう。行きも昼食を食べたオルショで今回も食べる。前は外の温室みたいな所で食べたが、今度は2階の比較的きれいな食堂で食べる。
そこにガイドを連れた単独のスペイン人が現れ、アイランドピークのベースからピーク (6198m) を登り、チュクンまで15時間で降りて来たと言う。タフである!だけど非常に疲れたと言っている。インターネットで調べてみると、スペインには最高峰アネト山(3,404m) をはじめ、3000m級の峰が10峰以上散在する長さ430km、幅100km程度のピレネー山脈が有る。ここで鍛えてきたのだろうか?
ポルツェまであと2時間かかるのでみんなの体調を考え、パンボチェで泊るのをキランさんが提案した。先を急ぎ、体調が悪くなっても困るので、ここで泊まることにする。ここのゴンパにはイェティの頭皮が有り、日本にも貸し出したそうだ。
夕食にツナモモ(ギョウザ)、スープ、油で炒めた野菜(チンゲンサイ?)が御飯の横に付いたのを食べ、紅茶を飲んでいるとゴンパのラマ教の老僧が食事にやって来た。キランさんが御布施をやり、我々の安全祈願を御願いした。

老僧の話す言葉はキランには判らないのでロッジの娘が通訳をする。その後ポータも御布施をし、ざんげか何か判らないが相談事を話し、老僧は教えをさとしていたが、その内容が気に入らないらしく、最初は神妙に聞いていたポータは悪態をつき始め、聞かなくなり、どこかへ行ってしまった。
夕食にキランさん、老僧、ロッジの家族はどんぶり一杯のそばがきみたいな団子状の物をスープにつけて食べていた。一杯飲んで上機嫌のポータにネパールで最も人気がある民謡「レッサム フィリリ」を歌うように頼むと、歌っているうちに身体が動き出し、踊りだした。手の動き、足の動きとその踊りは非常に素晴らしい。

3年前にカトマンズの民謡酒場で見た踊りなど足元にも及ばない。ポータをやるよりダンサーになった方が才能が活かせるかもしれない!(収入はどうだか分からないが!)
ここの高度は、ロブジェの高度から約1000m下がった3985mなので、今夜はダイアモックスを飲まなかった。高度は下がっているが、天気が悪くて、気温はあまり上がらず相変わらず寒い。
12時頃寒気がして目が覚める。「さだこ」を起こし、風邪薬を飲む。ロッジに着いた昼頃、寒いのに頭を洗ったのがいけなかったのか?夕方は雨が降っていたのに、夜中は星が降ってくるように出ていた。風邪薬が効いてぐっすり眠る。
13日目  4月27日(木) 晴 のち曇り          「ながおか」 記                                                            
7時35分発  ポルツェが見える峠9時44分  ポルツェ Phortse ( 3810m ) で昼食(ラーメン)10時02分〜11時10分   トーレ Thore ( 4390m ) 着14時04分
5時に起き、朝食の準備が出来るまで煙た トーレに向うい台所のかまどのそばで、キランさん達と紅茶を飲む。朝食にトースト 2枚とゆで卵 2個を食べる。8時10分 トーレに向うトラバースルートの上の崖でネパールの国鳥のダフェ(オスキジ)を見かける。望遠で写真を撮ったが小さく、極彩色の綺麗さが現れていない。9時17分野生の鹿5、6頭を見かける。昨日は崖の下の川のそばで鹿が死んでおり、それに数十羽のハゲタカがむらがっていた。
ポルツェが見える峠にカナダ国旗を付けた5,6人のパーティが休んでいた。我々が来たルートの方に女性がトイレに行ったが、遅れていた「おしやま」さんが来た為、あわてて帰ってきた。
エベレストのアイスフォールの崩壊で遭難した3人のシェルパの1人がポルツェ出身で、峠に着いた時、ドラ、太鼓、ラッパが混じったラマ教の葬儀のお経が聞こえてきた。峠かポルッエの村ら見ると畑が広がり、その中にポツリポツリと家があり、のどかな農村風景に見えるが、男達は高給を得る為シェルパとして危険な登山活動に従事し、遭難する人も絶えないらしい。
シェルパとお茶や酒を飲みながら話すと、遠征の時は彼らの家族は毎回心配していると言っていた。山麓を歩くトレッキングのガイドとして働く人もいるが、遠征隊のシェルパの方がはるかに収入が良く、色々な山を登ることによって自分達の実績が評価され、プライドも得られるので人気が有るらしい。
ポルツェでナムチェに戻る「おしやま」さん、アシスタント ガイドと別れ、我々はトーレに向う。沢筋のルートに水力発電所があり、橙色のケーブルがポルツェへ向って延びている。大きな村では照明用として水力発電で電気が引かれ、小規模な村のロッジにはソーラ発電、電池を使った照明が付いている。
トーレへのルートは歩く人が少ない為所々に雪が残っており、トレースが不明瞭な所も有って、気をつけないと谷底へ滑落する。峠で前方.ジャコウジカのチョユー ( 8153m ) を教えてもらう。はるか前方に見えていたロッジの青い屋根がだんだんと近づいてき、先行していたポータが見えた。
ようやく3時間かかったトーレに着く。ここには小さなロッジが2軒(青い屋根とその少し先の更に小さなロッジ)とカルカ(夏季の放牧用の仮小屋)数軒が山の中腹にへばりついている寂しいところだ。
我々は5、6人で一杯になる小さな方の「シェルパ ロッジ」に泊まる。ここで蒸した小さなジャガイモと紅茶で2回目の昼食をとる。大きなジャガイモよりは小さいほうが旨い。食後記録をまとめた後、連日の行動で疲れ、外は曇り寒いので出歩くことなく、ベッドで夕食まで横になる。

炊事の煙と人の声で目が覚め、食堂に行く。ここには牛の世話をする姉パサンとロッジを切盛りしている妹ジマが春から秋まで住んでいる。夕食後、石油ランプの灯りでポータの踊りと姉妹の歌で盛り上がる。
13日目  4月27日(木) 
昼食後より別行動 SUNLIGHT.GUESTHOUSU 4085m 
   「おしやま」 記
11:00 体力不足のため「ながおか」さんと別行動。アシスタントガイド1名と自分の2人で行動。今日の予定は対岸の中腹に見える山小屋までだが、沢へ下りてから登り返しは手ごわそうだ。あせらず気合を入れて歩きだす。

石楠花の林の中の下り道を歩くこと45分。橋を渡りチョット洒落た感じのロッジで休憩させてもらえた。外国人6名パーティの余裕の休憩とチョット違う。 これからの登りのことを考えると気が重い。

歯を食いしばり休み休み登ること2時間、やっとの思いで宿泊地 MONG−LA、VALLEY VIEW LODGE (3993m)に 2:15着 他に客は無く、貸し切り状態でのんびりと過ごすことができた。
14日目  4月28日(金)
 晴 のち曇り                 「ながおか」 記                                                         
717分発  ナラ Nala ( 4440m ) 98分〜37分   ゴ−キョ Gokyo ( 4750m ) 1245朝食 チャパティとゆで卵2個。ここのロッジにはトイレが無いので、好きな所にキジを打ちに行く。
ゴーキョに向って山の中腹をトラバースすると、 ゴキョに向うンゴズンバ氷河末端のモレーンが現れ、開けたナラに着く。ここでミルクティ 2杯を飲む。これからゴキョまでの3時間、途中バッティ(店)も無く、空腹に耐えられるだろうか?
10時57分ゴーキョまで約1時間のところで、ポータを待つ。どうやら昨夜ポータは飲み過ぎたらしい。重荷を背負う力は有るのだが、品行が余りよくない。寒いとか荷物が重たいとか不満を言うし、ルートの途中にバッティが有るとそこでロキシ(焼酎)を飲み、少々酔っ払って行動しているようだ。声は噛み煙草のせいでガラガラで、おまけに女好きと来ている。昨夜も我々の目の前でロッジの姉妹の尻や太腿を触っていた。
ポータの姿を探しキランさんはかなり下まで戻る。しかし、ポータはなかなか来ない。私も心配になり、キランさんのところまで行く。かなり待って、ようやくポータを確ゴキョ手前認し、再びゴ−キョに向う。
ゴーキョ手前でルクラを出発した時からルートを前後していた韓国の女の子2人、男の子1人とすれ違う。彼らはチョラ ラ パス(5680m)峠を越えて来たといった。格好からしてあまり山の経験が有るように見えないが、峠を越えてきたのは素晴らしい。また若いラマ僧5、6人と出会う。彼らは喋りながら元気に走って下っていく。
11時25分池で水鳥が潜ったり、羽ばたいている。氷河から流れてすぐの、この高度の池では魚等いるはずが無いので、潜って何をしているのだろう。鳥の行動を見ていると飽きない。
-キョ ナマステロッジに着き、中庭でミルクティ、ブラックティを飲み、ベジタブルスーゴキョピーク ( 5360m ) 後ろは チョーユ ( 8153m )プ、ベジタブル フライドライス(チャーハン)の昼食が出来るのを待つ。ここには運動靴、フリース、手袋、サングラス、電池、ビスケット、チョコレート、ラーメン、本など何でも売っている。13時13分ようやくポータが着き、部屋に荷物を運び入れる。ここの部屋は広く、ベッドも毛布、羽毛布団付きで立派だ。
キランさんの話では、2日前にルクラで漏電による火災があり、家4軒が燃えたそうだ。タンボチェの大きなゴンパも以前漏電で燃え、その後建て直している。屋根の上に配線を引き回したり、何ヶ所も分岐し、雨水がかかる屋外でビニールテープで覆ったり、いい加減な配線を行っており、漏電火災は日常茶飯事かもしれない。
太鼓を叩く音が聞こえる。シェルパが大酒を飲んだ挙句死んだので、その葬儀を行っているとのこと。キランさんと大酒は良くない、酒を飲むなら程々が良いよと冗談を言う。15時30分ラマ僧と5、6人が弔いの為、大声でお経をとゴキョ ( 4750m )なえ、ラッパを吹き、太鼓を叩いて下っていく。
明日ゴーキョ ピークを登るとトレッキングも終わったようなものなので力を付ける為、夕食に味噌汁とヤクステーキ、フライドポテトを食べる。ダイアモックスを飲み、昨夜の煙が染込み煙臭いシュラフに入り、寒いので羽毛の布団を被せて寝るが、風邪のせいか寝付かれない。夜中ネズミが天井を走り回るが、しばらくすると静かになった。あまり眠れなかった。
14日目  4月28日(金)  7:55 ナムチェバザールへ  14:30 エベレストホテル着                        「おしやま」 記
下り道であるが足取りは軽くならず、疲れが残っているような感じの歩行が続く。  放牧されている(と思われる)ヤクがのんびり草をあさっているが、うらめしくさえ思える。 ひたすら足元のみを見て進む。

途中から木立の中が多く景色を見ることは少ないのだが、余裕がほしいところだ。 RIVER,RESORT PHORTSE THANGA,にて昼食にスパゲティを食べる。気を取り直してホテルを目指して歩く、歩く、歩く。街が見える高台にやっとの思いでたどり着く。一安心、長い一日だった。
15日目  429日(土) 晴                       「ながおか」 記                                                
 
450分起床  530分朝食  620分発  ゴキョ ピーク Gokyo peak ( 5360m ) 86分〜42分   ゴキョ ロッジ 935分〜1055分   マッチェルモ Machhermo ( 4410m ) 1415
朝食に蒸したジャガイモとゆで卵2個をとるが、食欲が無く、ジャガイモ1個と卵だけを食べる。天気が良く風も無いので、オーバズボン、ヤッケも着ないで610mの急登を登り始める。途中隣の部屋のフランス語を喋る同年輩の夫 エベレスト婦がすごい勢いで登ってくる。
奥さんと話をしたら、旦那はチョユーを登っているらしく非常に元気だが、彼女は53歳でもう年だから登るのも大変だと言っていた。それにしても夫婦共元気だ。
私も苦しくない程度にピッチを上げ、彼らを追う。頂上は岩が所々出ており、雪も有る。
アンナプルナ方面の6000mの山を登る予定がストの為行けなくなり、こちらに急遽変更した女性1人を含む福岡の労山合同パーティ8人と頂上で話をする。我々夫婦は熊本の人吉出身と紹介する。ネパールで聞く九州弁が懐かしい。天気が良いので、チョユー、エベレスト方面全て見えるが、残念ながらエベレストは逆光になっている。
頂上で「さだこ」、キランさんはセンベイを食べ、コーヒーを飲む。私は食欲がなく、コーヒーを少し口にしただけで下り始める。
ロッジ近くで写真を撮る為に立ち止まった。急に疲れが出てきて、立っているのがやっとだった。ロッジに着き、ホットレモンを飲み休憩していると、急に吐き気がし、離れた場所で吐いてしまった。昨夜の炒めた野菜(キャベツ、カリフラワー)が生状態だったのか、油が悪かったのかもしれない。それとも300Rsの高価な食事を食べてバチが当たったのか!(注文したヤクステーキが来ると隣に座っていた初老のシェルパが、驚いた様子で覗き込んでいた)
「さだこ」、キランさんは昼食を食べたが、私は食欲がないので途中で食べようと思い、チョコレートを買ってもらった。
(エージェントに支払ったトレッキング費用に食 マッチェルモ事代が入っており、200 〜 300 Rs/回の範囲であれば 食事の中身は問わない)
吐き気は直ったが、下痢がひどくなった。朝は少しだけ食べ、昼も食べていないので力が入らず、マッチェルモまでの行程が非常に遠く感じた。(買ったチョコレートも食べる気がおこらず、タトパニ(お湯)だけを口にした)
チェルモ NAMGYAL ロッジでブラック ティを飲み、夕食はとらず、すぐ横になる。
15日目  4月29日(土)  7:55 エベレストビューホテルへ                                                      「おしやま」 記
ナムチェバザールの北西方向の高台にあるようだ。途中飛行場のように広い平らになった上に、きれいな作りの建物が見え隠れする。それらしいホテルに着いたが、囲いがあり木戸に看板が下がり何やら注意書きがあるため遠慮した。ひと回りしようと移動していると、芝の綺麗なキャンプ場と管理棟のような建物があった。

管理人らしき人は日本語が少し分かるようで、ビールを頼むことが出来、その後世間話をしながら時間をすごした。なんと日本人でここまで絵を描きに来る人が居るから話をして行けとのこと。異国で思いがけず東京の話をすることが出来た。ヘリコプターの離発着も見られた。《観光客の送迎らしい》
16日目  430日(日) 晴                                                                                      「ながおか」 記
717分発  ドーレ Dole ( 4084m ) 913分〜42分   モンラ Mong la ( 4150m 昼食) 1158分〜1311分   キャンズマ Kyanjuma 14時〜22   ナムチェ バザール 1530分 
昨夜は17時に寝て、今朝5時半まで2回トイレに起きただけで、ぐっすり眠る。朝食はチャパティ 2枚とブラック  マッチェルモ.ナムチェ バザールの店ティをとる。昨日はほとんど食べなかったので、下痢は治ったようだ。
ドーレからポルツェ テンガに下り、約500m近く登るとモンラへ着く。病み上がりにはこの500mはこたえた。
眺めが良いロッジにてパンケーキとジャムの昼食をとるが、パンケーキの油が鼻につき、2口食べただけで、残りはポータに食べてもらう。ブラック ティを2杯飲む。石楠花林があるキャンズマを通り、ナムチェに向かう。
キランさんの村は貧しいので、村人がエベレスト方面に出稼ぎや物を売りに来ていると話す。パンが美味しいといわれるナムチェの「エベレストベーカリ」で夕食用のパンを買う。(これもキランさんに支払ってもらう)ナムチェ バザールの登山装備や日用雑貨の店が並んでいる通りを一通り見て、ロッジに向う。
3日振りに、「おしやま」さん、アシスタントガイドに食堂で会い、お茶を飲むナムチェ バザール。夕食にスープと先ほど買ったパンを食べたが、やはり食欲がなく1/3も食べることが出来なかった。
16日目  4月30日(日)
7:55ホテルより西方向(THAMO,TENG)   14:10着 
                            「おしやま」 記
暇つぶしの散策と思って気楽について行った。樹林帯の道がしばらく続き、登り下りの繰り返し。途中何件か村の家が点在する風景が見られた。この先何か目標となるようなものが在るのかたずねると、特に無いとの返事。ただ景色がいいとのこと。自分としては明日下山予定の為あまり歩きたくないことを伝え、適当なところで引き返す。

11:05 のんびり帰り始める。石楠花の花はピンク系の花が多いのに気付く。赤い花もあり、石楠花の多いことに驚く。又桜草らしき花も多く見られた。
THAMO.MAYA.LODGEにて昼食 スパゲッテイで腹を満たしホテルに帰る。「ながおか」さんパーティは14:40ホテル着、合流し全員揃い明日の予定を確認する。
17日目  5月 1日(月)  ナムチェ バザール7:20発  パクディン13:55着               「おしやま」 記
2週間前の往路をひたすら歩きパクディンを目指す。一人遅れがちになりながら歩いた。 WATER.FALL.VIEW.LODGE にて昼食、 若い日本人トレッカーが一人旅を頑張っていた。 パクディンHOWHITO.LODGE.夕食時ビールで乾杯。( 4本 / 1200 Rs )


18日目  5月 2日(火)  パクディン7:45発    ルクラ 11:05                               「おしやま」 記
トレッキング最後の歩程は約3時間で、頑張って歩かなくて良いのだ。最後の登りが終わり、見覚えのある軍隊の姿を見てほっとする。飛行場隣りのホテルに11:05到着。ここでルクラから同行したポーターと別れる。
19日目  5月 3日(水)  ルクラ       カトマンズ タメールホテル 11:20                 「おしやま」 記
ルクラ飛行場(我々が乗ったゴルカ航空)6:15朝食完了、搭乗準備をする。小型飛行機(12〜3人)乗で、離陸前搭乗員《女性》が飴と耳栓用の脱脂綿を持ってまわる。傾斜のついた滑走路をエンジン全開で飛び立って離陸、 無事カトマンズに到着、待ち合わせのタクシーでホテルヘ向かう。

20日目  5月 4日(木)  市内観光    Dinesh家にて夕食会                                           「おしやま」 記
昼食を日本食レストラン桜にて食べる。夕食はネパール エージェント社長のDineshさん宅に招待される。
 
21日目  5月 5日(金)   市内観光                                                                                     「おしやま」 記   
ガイドのキランさんの案内で市内を廻って歩いた。 夜はホテルでガイド2名と夕食会となった。
 
22日目  5月 6日(土)  ホテル11:05  カトマンズ13:50離陸  (TG320)              「おしやま」 記 
 
23日目  5月 7()  成田着0730   小山着1120                                       「おしやま」 記     
後  記    
            
「ながおか正」
 カトマンズに着いた時はネパールは政カトマンズ観光情不安の真っ只中で、ゼネストでガソリンスタンドは閉鎖され、燃料が無い為タクシ−もバスも動いていない、大半の店のシャッタ−は閉まっており、行政のゴミ回収が行われない為、所々の道の脇には悪臭を放ったゴミが散乱している。
ネパール人は夜間外出禁止で警官、軍隊のみが市内の所々に立っている現象が見られました。このゼネストで欧米、日本、中国の大使館も危険な為、閉鎖したと聞きました。
 またバス、車、飛行機が動かない為、ポカラ周辺のアンナプルナ、ダウラギリ周辺のトレッキングに行けない人達が、エベレスト方パシュパティナート面に切換えた為、こちらは大変混雑していました。日本のトレッキング会社も外務省勧告により中止したようで、出会った日本人は個人的に来ている人ばかりで、少数でした。
 我々のトレッキングは前半の18日ナムチェバザールの手前から雪が降り、19日も雪の中高度順化の為、クムジュン、クンデを歩きました。その後は夕方のみ少量の雪が降った位で、行動中は好天でした。
 過去に何度か高所は経験しているものの、4000、5000mのところを毎日行動するのは体力的に大変でした パタン観光かなりハードなトレーニングを行い、体力にはかなり自信が有りますが、年齢に反比例して体力が落ちているのを実感しました。
何年か後にはネパールの違った場所か、同じエベレスト街道でもシーズンが異なる秋に歩きたいと考えています。身体が動けなくなる年齢まで、何度でも訪問したい興味ある面白い国です。
 今回のトレッキングは現地エージェントのDineshさん、Kiranさんに大変御世話になりました。
Dineshさんは6/29〜7/13日に来日し、茂呂先生が尾瀬を案内したり、エベレスト登山隊の北村隊長、遠藤さんが鬼怒川方面を観光等、日本を楽しんだようです。
7/7(金)には彼の歓迎会を小山で行い、北村隊長へDineshさんが預ってきた4人(北村、遠藤、上小牧、谷嶋)の額入りの立派なエベレスト登頂証明書が贈られました。額は彼が気遣い、わざわ
ざ重たい思いをしてネパールから持って来たようです。
関係者の皆様これからネパール方面へトレッキング、観光等で行かれる場合は彼の NEPAL EXPLORATION TREKS の御利用を御願い致します。                   
来年6月頃にはガイドのKIRANさんの来日を計画していますので、旅費等を含め色々な御協力を御願い致します。  
                                   
以上      

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