キナバル(4,095m)登山&観光報告書

                                              

誰でも行けるキナバル山。しかも安い(我々は特に安かった) 
登山の経験が浅くても結構問題なく楽しめます。
参加者10名それぞれが、感じたままを書いています。これから行ってみたいと思う方、
参考になれば幸いです。(全員の感想をのせているため、記事が重複していますのであしからず。)

ロッジよりキナバルロッジよりキナバルの全景 山頂の夜明け山頂の夜明け
1. 隊の名称   2002小山山岳会キナバル登山隊
2. 目的      東南アジア最高峰 キナバル(マレ-シア)山の登頂
3. 日程      2002年11月2日(土)〜11月8日(金)
4. 費用概算   旅行社への支払 :  (11.43万円 / 人)
5.          その他 : (ポ-タ-料 :700円、 旅行保険 : 9,000円、小遣い:3〜5万円/人 )
6. 隊の構成     氏   名
1)総隊長(「いとい」)  2)隊長(「おしやま」)  3)装備( 「えびはら」) 4)会計(「ひらやま」)  5)医療(「ながおか」)   6)医療(「まつしま」)  7)記録(「さわはた」)  8)記録(「やまだ」)  9)記録(「さとう」)  10)渉外(「なかがわ」)
<始めに>
★爽やかな鳥のさえずりに心地よい朝を迎えた。 間違いなく ここは南の島、ボルネオ島である。 キナバルパ−クロッジから4,095mのキナバル峰がクッキリと青空の中に浮かんでいる。
さあ−! 今からあの頂きへ。70年に創立した小山山岳会も 30年を超えると歴史の重さを感じる。 会としての海外登山は 3度目になる。
’77年のマッキンリ−隊、11名は全員登頂をはたし、’00年1月にはキリマンジャロ隊4名も登頂を果たしている。
個人としての遠征も大変活発に行われ、雪岳山、ヌン峰、欧州アルプス、済州島ハンラ山、パミ−ルコルジェネフスカヤ、マッキンリ−、インドヒマラヤKR7、 アコンカグア、ロシア エルブル−ス、 また、ネパ−ルヒマラヤへのトレッキング等、多くの仲間たちが海の向こうの山を楽しんでいる。

今回の遠征は、前2回の登山隊とは少し赴きが違ってくる。 女性3名を含む総勢10名である。平均年齢も少々高い。海外登山の経験者は5名である。 4月に計画が会として発表され、メンバ−も早々に決まってきた。
キナバルと言う山を知るに従い、4,100mの高度をクリア−出来れば問題なさそうである。 とにかく 1度だけ富士山を経験して貰う事にした。
疲労度としては、上高地から槍ケ岳を1泊2日の日程程度と考えた。 上部のスラブは、ほぼロ−プがフィックスされているので、技術的には問題なさそうである。 あとは天気次第、幸運を祈るのみだ。

11月6日、午前5時30分 我々10名のメンバ−は 4,095m ロウズピ−クの頂きで厳かに ご来光を待っていた。
今回の遠征で何らトラブルもなく全員が登頂出来、無事小山に帰れた事をメンバ-の皆さんに心より感謝申し上げたい。また、多方面にわたりサポ−トくださった会員の皆様には、ここに謹んで登頂の報告をさせて頂きます。2002年 小山山岳会キナバル登山隊   総隊長  「いとい」
( 「おしやま」 記 )
★平成13年12月ザイル祭−。 気心知れた仲間達で、今年の無事を喜び合い、皆、随分酔っていたと思う。
海外の山(4,000m級)を10万以下の費用で行けるという話が持ち上がった。 酔った勢いもあってか、その話は我々の心に響き、しばしその事について盛りあがった。
そこに集まった人々の山との付き合い方、経験は様々であったが、一度は海外の山の頂きを踏みしめたいという思いは誰でも持っているものなのだろう。
酒盛りの話は、男達の山への憧れの色に染められ、徐々に真実の色を帯びて来た。 そして酒に酔った仲間達の目は、キナバル山頂に立つ自分の姿の想像に酔い始めその夜がふけて行った。
この登山の実現の為には、「なかがわ」氏のお骨折りが多大にあった事を記しておきたい。そして、全行程 予定通りに運ばれ、無事終了することが出来た事に まず感謝の意を表したい。 
( 「おしやま」 記 )
★平成14年11月5日 登山初日、 高度1000mの移動。 パワ-ステ-ションより歩き出す、寝不足の人、食事の合わない人旅行ボケ、三日酔いの人、10人+ガイド2名、他にポ-タ-2名(別行動) ガイド2名、先頭及び最後尾 総勢12名のパ-テイ丁度良い(スロ-ペ-ス)にて進む。

熱帯雨林の蒸し暑い中を汗をかきながら高度を上げて行く。 だんだん高くなるにつれ間隔がまばらになる。 ガイドは気配りが慣れているようだ、振り返りながら調節してくれた。 登山道わきの高山植物に励まされながら、約5時間、無事ラバンラタ小屋着、第一段階クリア−。

今晩の食欲と睡眠により左右されるだろう明日の行動、 ちょっと気がかりだが成り行きに任せる。 登る意欲次第で4,000m級は何とかなるだろうと思っていた自分が、一番弱く見えてきた。
食事を済ませ寝ようとするが、スト-ブのおかげで熱くて寝れず着ているものを一枚脱ぐ。 なかなか寝れず寝返りを繰り返す。 時間になり起きだす 頭が重い。 高山病かな? 食堂に行き無理に流しこむ。決してうまいとは言えない食事、 コ-ヒ-、お茶をお代わりする。

何はともあれ出発だ、全員準備完了、ヘッドランプの明かりをたよりに、満天の星を仰ぎながら登り始める。 みんな調子良さそう、話しながら急勾配の階段を登って行く。全員登れそうな感じがする。 1時間、2時間経過するにつれ立ち止まる人も出る。
目標は目の前にせまっていても思う様に足が前に出ない、気を持ち直して頑張る、頑張ってもらう。 みんな頑張った、全員山頂に着く事ができた。日の出を迎え、コ-ヒ-を飲む、一服が美味い、達成感を味わう。
一つの小さな夢がかなった、満足感の無い人もいるかもしれない、次の目標のステップにして貰いたい。 一山岳会、10人のパ-テイ、 大名登山とは言え、全員登頂に満足しました、次回の登山目標に向かって前進したいと思います。
( 「いとい」 記 )
★海外登山あるいは4,000mクラスの山というとつい身構えてしまう。登りたいという憧れはあるが、自分には遠い世界のように思えてなかなか実行に移せない。
実は私もそんな一人でした。女房殿を同伴した7月のアイガ-トレッキングでは、大雪に見舞われ、これではやはり無理か、と思ったものでした。
昨年還暦を迎えたとき、子供たちも手離れし、仕事も一息、さあ次の人生何を目標にしようかと考えていた。取りあえず日本100名山をゆっくり楽しもうと思い、今まで登った山を数えたところ、丁度自分の歳になっていた。

そんな今年の4月、会員からキナバルに行きますがと言われ参加した次第である。 東マレ-シア(ボルネオ島)コタキナバル市へは、クアラルンプ-ル経由で10時間ほどのフライトである。(帰路は5時間ほど)登山口のキナバルパ-クロッジまではバスで2時間ほどでつく。
ロッジは良く管理されていて大変快適に過ごす事ができた。山中行動は1泊2日である。

(1日目) ジャングルの中に立派な登山道が整備されている。見通しは無い、よって風通しも悪い。 救いは沢山の石楠花、ラン、ウツボカズラ等であった。 とにかく暑い、やはり南の島、北緯3度、赤道からわずか330kmしかないのだから。
3,000m付近まで来ると灌木も低くなり視界も開けてくる。 さわやかな登高になってくるはずだが、5時間のアルバイトで、少々足が重くなってくる。 突然大地に出ると、そこは今宵泊りのラバンラタ小屋である。標高3,400m、まだ低灌木が一面を覆っている。北アルプス等では考えられない光景だ。
部屋は2段式のベットが4台、我々は米国人2名との相部屋になった。食事もぜいたくを言わなければまずまずだ。 ビ-ルもありハイネケンの缶ビ-ルが300円ほどだった。
朝がとくに早いので日本語で”消灯します”と言ったら OKの返事が返ってきたので私もグッドナイ。

(2日目) 1時30分起床、2時40分の出発。 ヘッドランプをたよりにハシゴの登りだ。 少しすべるので良く見たところ、なんと使っている材料が紫檀であった。 こんな贅沢な階段、木道、ハシゴ、手すり、この山道だけは世界一かもしれない。
1時間ほど登ると森林限界に達する。 ここからの登高は、日本では絶対に体験できない、見渡す限り花崗岩のスラブである、草も樹も全くない。 石ころさえもない見事な世界だ。
もちろんロ-プがフィックスされているので心配は要らない。 斜度も緩く ロ-プを頼らない人達が大半だ。正面に最高峰のロウズピ-ク 4,095m、右に双岩峰が見事なドンキ-ズイヤ-、 左には鋭く天を指すセントジョウンズ峰と、全く飽きることのない光景だ。

ここのスラブは日本の岩と違い全くすべる気配がない。 登りも下りもフィリクションがきいて大変楽しい。 近くて楽しい山、それがキナバルだ。
技術的にも、体力的にも4,000mの安心して登れる山がここにある。山頂では0℃くらいになる事もあるのでセ-タ-、手袋は必要だ。 それと南国なので1日1度は必ずと言っていいほどスコ-ルがやってくる。 我々も山中ではないが、ものすごいスコ-ルに出会った。 しっかりした雨具は絶対に欠かせない。

体力的には、上高地から槍ヶ岳を1泊2日で往復を考えれば充分だ。 山頂付近は羅臼岳の岩清水から頂上と大変似ていた。 頂上は狭く反対側が大きく切れているのでカメラの時は注意が必要。

現地では結構贅沢もしたが、私の総費用は16万円でした。治安に不安を感じた事もない。 北アや南アを楽しんでいられる方にはお勧めの山である。
( 松島 記 )
★キナバル登山の話を聞いたとき、即、行くぞ!と意気込んでみたものの、パスポ-トが無い。
実は一度も海外旅行に行った事が無く、早速手続きに出かけたものの、果たして山に登れるのか非常に不安だったが、何とかなるだろうとその日が来るのを忙しさにかまけて、トレ−ニングもせずに当日を迎えてしまいました。

しかし、気分はルンルンで飛行機に乗り込みました。 エキゾチックな衣装のスッチ-の機内サ-ビスも、シ-トの狭さに勝てず、腰が痛くて座って居られませんでした。また、ものめづらしさから手元のチャンネルを適当に押していたら、スチュワ-ドが来てしまったり、と、ま−ちょっとしたアクシデントも ご愛嬌で無事クアラルンプ-ルに着きました。

空港内の空気で外国に来たなと感じました。 コタキナバルの国内線に乗るため、待合室で待っていたら、関西弁が聞こえてきて、一体ここは日本なのか?と、勘違いしそうなくらい日本人が多かった。

(2日目) 天気は晴れて暑い、さすが南国の国。 今日は市内観光めぐり、その前に、換金するためマ-ケットに行ってリンギットに換えた。
普通の紙に印刷した様な紙幣で、残しても仕方ないので全部使い切るぞと思っていたが、結局足りなかった。 夕食はホテルの近くの海鮮食堂で豪華なロブスタ-を注文して待っていると、激しいスコ-ルが降り、食堂とは名ばかりのテントで出来ている店のため、 雨が屋根に溜まり、その屋根に棒で突いて雨を流していたり雨漏りするところに傘をつるしたりと、なかなか味わえない体験し、やっぱり旅はいいなと、改めて実感した夜でした。

(3日目) いよいよキナバルに登るためバスで出発。 ツア-御一行様は、すっかり観光気分にひたっているので、本来の目的が若干?薄らいでいるのは私だけなのかしら !! 途中の村のお土産屋で、トイレタイムを兼ねてショッピング。
そこで大、中、小、の3点セットの財布を値切って買ったのが病みつきになり、後々、値切らにゃそんそんとばかり値切り倒し、そこでついたのが 「値切りのわたし」 と「さとう」氏が命名。
なかなかの親父ギャグでした。 コテ-ジに泊まるその夜、ガイドのダニ-さんを交えて飲み会を開催。
やはり小山山岳会は、たとえ場所を海外に移しても しっかり伝統?を守りセレモニ-を慣行したのでした。 ヨカッタ ヨカッタ〜〜〜

(4日目) 朝焼けがきれいで外に出てみると、キナバル山が目の前にそびえていて神々しさをおぼえました。 あの山にこれから登るのがチョット信じられない様な感覚にとらわれ、高山病のことが頭によぎりました。

公園管理事務所で手続きを済まし、ポ-タ-とガイドを2名づつ雇い、いざ! 出陣(自分なりに気合をいれたつもり)途中にあずまや風の小屋があり、 トイレと水があって日本の山では考えられない快適な山行でした。
やっとのおもいで何とかラバンラタ小屋に到着。 高山病は今のとこ発病なし。 明朝2時起床のため食事のあと、荷物を整理して準備をし早めに就眠する。

(5日目) 思ったほど寒さは感じられない。 ヘッドランプの明かりを頼りにゆっくり登る。だんだん高度が上がるにつれ苦しくなってきて、深呼吸をしても心臓の鼓動が収まらず、しかし一歩一歩あるけば頂上に立てる、頑張れ頑張れと自分を励ましながら遂に山頂にたどりついた。

頂上は意外と狭く、登山客で満員なので写真だけ撮って、少し下りた所で日の出を待った。 ひろ−いスラブが朝日に輝き、その朝日を全身で浴びながら、充足感に浸りつつ、時に自分が歩いた道を振り返りながら、そしてしばし佇み、カメラのシャッタ-を切りながら下りてきた。

小屋に戻り朝食をとって下山。 休憩の時、東京在住のドイツ人夫妻と歓談したり、足取りも軽く???(実は太ももがかなり痛かった) 登山口に戻りました。
そこでドイツ人夫妻に又会って、沢畠さんが嬉しそうに話かけていました。ダニ-さんが迎えにきてくれ全員登頂の証明書を受け取り、コタキナバル市に向かいました。

(6日目) サピ島での水中ダイビングツア-(注、シュノ-ケリングですよ)。 そこへ行く前に魚が寄ってくる観光スポットに立ち寄る。 パンくずを投げると綺麗な熱帯魚がワサワサ寄ってきて、見事な眺めではあったが、日本の池の鯉にエサをあげるのと似ていた。

サビ島に到着し、早速オニュ-の水着に着替えて、バナナボ-ト乗りに出かけた。 実はバナナボ-トとはどんな物なの知らなかったので、ついて来たのが運の尽き、結局、海に投げ出されるまでボ-トで引き回され、首尾よく落ちたら ジ・エンド、 なんてこった!
しかし木陰にテ-ブルを置いて、お昼の用意は出来ているし、観光客は少ないし、いいことずくめで、おまけにほんのチョコットだが海の中ものぞけたし、初体験の一日でした。

マレ-シア最後の夕食は、民族舞踊を見ながらの食事。 料理はあまり変わり映えしないが、野菜を沢山使ってあるので、そんなに油っぽくなく結構おいしくいただけました。
ただ、お米だけはまずくて食べられなかった。 ホテルに戻り荷物をまとめ、pm9時30分出発、コタキナバル空港からの直行便で成田へ早朝無事に帰ってきました。
実は、来る前に家庭の事情で参加を取り止めようか、どうしようか小さな胸を痛めたが、メンバ-に助けられながら、無事に帰る事ができ大事な宝物が又一つ増えました。本当に有り難うございました。 テレマカシ−(有り難う) !!!
( 「ながおか」 記 )
★ 昨年のザイル祭りの時、キナバル登山が話題にのぼった。 キナバル山がどんな山で何処に有るのかさえ知らない私は「今度キナバル山に行く事にしよう」と話が盛り上がる中で、私も行ってみたいと思い「今のところ参加の意思あり」と挙手してしまった。

「こういうチャンスはめったにないから、参加しても良い」と夫も快く賛成してくれた。 ただ、参加の意思ありから参加決定までに数ケ月を要してしまった。 なぜなら、いくら格安料金で行けるといえどもそれだけではすまない。
参加希望予定の会員は、登山経験が豊富な人たちばかり、迷惑かけないだろうか、仕事を休めるだろうか、私のこれまでの山行経験で果たして 4,000mの山に登る事が出来るのだろうか、色々考えた為であった。
決定するまでの期間もキナバル山の事を念頭に入れ、自分なりにトレ-ニングを積んできた。 しかしキナバルは(4095メ-トル)の山、富士山(3,776)より319メ-トルも高いのだ。
それだけ高い山に登るには、相当の体力や精神力、高所に対しての順応性を兼ね備えていなければならない。 色々考えるとなかなか決心がつかなかった。これらを出来るだけクリア-出来るように、今回参加を決めたメンバ-に加わり、高度順化を目的に富士山を登った。

前回登った時、あくびと咳が出たので、今回も同じ症状が出るかと心配したのだが、全く大丈夫、下りでも駆け足できる位体力もあり、下山後も元気であった。 一回だけの富士山ではあったけれど、この経験で多少なりとも体力面や、高山病に対する不安も和いだ。
又、会社も休みをとる事が出来、夫の「チャンスを逃すな」の一言もあり、最終的に決定したのが10月初旬だった。
初めての海外登山、何もかも判らない事ばかりであった。まして海外は、新婚旅行以来20数年ぶり、パスポ-トから申請しなければならない。
「なかがわ」さんが取り寄せてくれた書類に、必要事項を記入するにも手間取り、思う様に事が進まず時間だけが過ぎてしまった。 今回は、登山以外に自由行動もあり、登山装備以外に、自由行動分の荷物の準備もあったので随分時間を要した。(旅慣れしていないので、荷物の必要、不必要の判断が、的確に出来なかった)

松島さんと私は、キナバル登山遠征での医療担当を任された。 何もかもが初めての事、メンバ-や夫のアドバイス、過去の遠征の資料等で医薬品を準備した。
自分の役割に責任を持ち、最後まできちんと役目を果たす事の大切さを経験出来、大変勉強になった。キナバル山登山にあたり、メンバ-同士の打ち合わせも数回行い、それに参加する事で海外登山への不安も徐々に薄れて行った。
不安を一番に取り除いたのが、日頃から山行を共にしている小山山岳会のメンバ-と一緒に登るという事だった。 大人数の海外登山、 メンバ-同士がお互い信頼しあっているからこそ人間関係にも不安を持つことなく、わきあいあいとした雰囲気の中、楽しい気分で登る事が出来たのだと改めてメンバ-に感謝した。

参加者全員が「キナバル山頂に立つのだ」と目標を持ち、お互いにメンバ-を気遣いながら、同じ目的に向かって進み、全員山頂に立つ事が出来た喜びと達成感をおおいにに味わった。
キナバル山は、高山病に気を付け、体力さえあれば誰でも登れると聞いていた。 実際登って見たらその通りで有った。しかしそれは、かなりの山行日数とそれなりの山の知識や技術がなければ安心した登山が出来ない山でも有る事もこの身体で体験した。(私登山経験のレベルで)
海外登山ともなると私の様な初心者は、一人では何もする事ができない。 今回、ツア-会社選びから参加者のとりまとめ、事務手続き及びキナバル山に関する資料の取り寄せ、飛行機に搭乗する際の搭乗手続き等、すべて気持ち良く引き受け、ツア-期間中もガイドさんとの打ち合わせに奮闘してくれた「なかがわ」さんには大変お世話になった。
又、メンバ-それぞれが与えられた役割に責任を持ち、皆が安全な登山や自由行動が出来るよう気を付けてくれた。 一人では何も出来ない事を改めて痛感した、感謝の一言である。

今回の経験を機に、これからの山行に大いに役立たせたいと思った。最後に、今回のキナバル山遠征参加に賛成し、快く送りだしてくれた夫に感謝。
( 「ひらやま」 記 )
★ キナバル山(4,095m)……マレ−シア・カリマンタン島(ボルネオ島)にある東南アジアの最高峰です。しかし、この名前を知ったのはまだ最近のことで、昨今の海外トレッキングブ-ムで、山岳雑誌のツア−案内でみたような気がします。
ガイド同伴が義務づけられているとはいえ、多少の高度障害に注意すれば、難しい技術も必要なく、いわば東南アジアの富士山というところでしょうか。
その様な気楽さもあって、今回の山行としては大所帯の10名という会員が集まりました。それぞれ仕事を持っている身では、観光もできる1週間のツア−というのはとても手頃です。
成田からクアラルン・プ-ルで乗り継いで約半日。 ボルネオ島・サバ州の州都−コタ・キナバル。とはいえ、車が渋滞することは無く、信号機も横断歩道もほとんどありません。 爆走する車の間を通り抜けるのは、なかなかのスリルがあります。
しかし、そのような都市部を少し離れれば、水牛が田を耕す−かつての日本の農村地帯を見ることができます。そして沿道に続くナツメヤシの木が南の国に来たんだなあという実感を与えてくれます。

キナバル公園内ロッジも 途中一泊する山小屋(ラバン・ラタ)も思った以上に整備されていて、これもキナバル山が世界遺産になったおかげなのでしょうか。
コタ・キナバルから国立公園に向かう道路も、数年前に日本の建設会社が整備し、所要時間が約半分に短縮されたとのことですが、この島も日本よろしく開発という名のもとに貴重な自然が失われていくのか、と思うと複雑な思いがします。

今回の山行では、あの独特の香辛料とパサパサのお米に閉口した会員が多少いたようですが、(特に私個人としては登頂前からはほとんど食べられませんでした。)なんとか私もフォロ−していただいて全員無事に登頂することができました。

今回のような山あり海あり、観光ありの山行に参加することができて、たのしい思い出をたくさんつくる事ができました。 いろいろとお世話になりまして、ありがとうございました。
( 「なかがわ」 記 )  (日本発まで)
★週2回あるが、行きは曜日が合わないので、帰りの便を直行便にし、行きは、東マレーシアの首都クアラルンプ-ル経由となった。
成田−クアラルンプ-ル間が6時間半、クアラルンプ-ル−コタキナバル間が3時間半かかる。 帰りは、コタキナバル−成田で6時間。 時差は1時間でキナバル山は、マレ-シアの赤道の下に位置するボルネオ島にあり、日本からは、直行便がある。
今回の遠征は、昨年の岳連主催の講習会において、古河電工山岳部のキナバル遠征が非常に安く十数万で行ってきたとの情報により、年末のザイル祭りの最中に話が広がり、行ってみたいという事の始まりである。
4月の総会において、11月にキナバル山に行くことが決まったが、総会に遅れて出席した私に計画を依頼され、自分自身行くと決める決心のないまま、取りあえず計画だけと言う事で引き受けてしまった。
資料を集めているうちに、その気になっていっしょに行く事になったが、しばらく仕事が忙しかったため、8月になって旅行者の選定、見積もりをあわせて行った。
登山自体は移動を含め3日間、 飛行機の移動が2日間、現地のフリ−の日を2日間ほしいと考え、計7日間の日程とし、旅行社は、インタ-ネットを使用して旅行社とやり取りし、温泉が1箇所あるので、せっかくだから計画に入れた。
最終メンバ-も、8月終わりまでに決まった。

(日本出発) クアラルンプ-ルの国内線への乗り換えで、戸惑ったあげく、空港内で現地通貨への両替を予定していたのが入国審査と同時に国内線の搭乗を通過してしまい、せっかくのクアラルンプ-ルでの待ち時間3時間近くを無駄にした。
預けた荷物がきちんとコタキナバルに着くのかも多少心配だったが、その事を誰かに聞かれたがクレ-ムタッグがあるので、問題ないと答え、実際問題なかった。現地通貨は無かったが、空港では、日本円が使用でき、飲み物を買ってお釣りが現地通貨となるため、各自若干の小銭を手にした。
その小銭で、あとでホテルに着いた時、荷物を部屋に運んでくれたボ-イ2人の各10RMずつのチップをまとめて渡すこができた。 (ガイドによると、各自2RMずつも出せば良いので、10人分として、計20RMでよいと)

コタキナバル空港で入国審査を再度行い、全員が荷物を受けとったので、空港の出口に向かうと、観光ガイドが待っていた。
自己紹介で日本語を流暢に話すので、少し拍子抜けしたが、大変助かった。彼の名前はダニ−。 個人ガイドで、7社を掛け持ちで仕事を行っていて、日本に2年間勉強に行っていた。
中国系マレ-シア人で仏教を信仰していると言っていた。 背が低くショ-トカットで浅黒く、「ながおか」さんに感じが良くにていた。出迎えの大型観光バスに乗せられ、ホテルシャングリラに案内してくれ、チェックインを行ってくれた。

(2日目) 前日にガイドに観光を依頼しておき、両替がまだだったので両替屋に案内させて、3万円分を現地通貨に両替した。 観光は博物館、モスク等に行った。 ガイド料金(?RM)を払った。
夜は教えてもらった近くの海鮮屋台料理店に行った。 ホテルを出る時小雨が降ってて傘を使ったが、店に着いた直後、どしゃぶりとなり、屋台のテントが雨漏れして、店員が傘を用意してテントの天井から傘を逆さにして雨避けにした。

(11/4) 朝食後、ホテルのロビ-にガイドのダニ-が迎えに来たので、貸切りバスでキナバル公園に移動した。 途中、みやげ物店に立ち寄ったので、目的の赤いバナナを探して1房10RMで購入したが、やや小太りで短めであり、味はまあまあであった。

天気は曇りであったが、途中でスコ-ルに会いバスの天井から雨漏りした。 公園ゲ-トでガイドのダニ-が登山手続きを行い、登山ガイドの2名が紹介され、ポ-タ-に荷を預けた後ロッジに移動した。
時間が早かったので、植物園を見て時間をつぶした。

(11/5) 朝起きると外の天気は晴ていて、初めてキナバルの山並みをくっきりと見渡す事ができた。
朝食後、バスで公園ゲ-トへ戻り、登山ガイドと共に登山口へ移動し、登山を開始した。 うっそうとした樹林帯の中、ゆっくりとしたペ-スで歩いて行った。 蒸し暑かった。
途中の休憩所で休みを取って、また、うつぼかずらの群生地の写真を撮ったりして、今日の目的地の3,400mにあるラバンラタ小屋に着いた。

(11/6) 夜中の2時前に起きて、食堂で軽く持ってきたものを腹に収めた後、2時半に小屋を出た。 思ったほどの寒さではない。 10℃弱くらいか、 先頭と最後尾にガイドが付き、ヘッドランプの光を頼りに歩き始めた。
途中から長いスラブ上をフィックスされたザイルが続いているのを横に見ながら行く。 1箇所、トラバ-ス地点と斜度のきつくなった所でザイルを掴みながら登る。
ゆっくりしたペ-スで、周りのメンバ-も苦しそうな感じもなく快調だ。頂上直下の最後の急登を、息が切れるので息を整えながら、フィックスザイルを使って頂上にたどり着いた。
頂上は狭く多くの人で埋まっている。 5時半、3時間かかった。 しばらく休憩を取っているうちに、太陽が上がって明るくなってきたので、皆で写真を撮って下山開始した。
(「えびはら」 記 )
★去年のザイル祭りで、「ながおか」さんよりキナバル登山の話があった。11万円という費用の安さと、酒に酔った勢いで大いに盛り上がった。
自分としては、その宴会の間は、脱日常で かなり舞い上がっていた。 あれから1年、「なかがわ」さんより電話があり、キナバル登山の計画が伝えられ、正直、躊躇したがザイル祭りでは一番盛り上がっていた。
自分が参加しないと言えるはずがありません。 OKの返事をして最初の例会に行ってみると、参加者は5名位で少しさみしい(参加した事に後悔)、 後に5名増えて10名となり、その時には自分の気持ちもキナバルに向けて最高潮になっていた。
12年ぶりの日本脱出、それも10名という団体である。 登山プラスアルファ- 9名の人とのふれ合い。 この先何があり、何が起こるか、そんな旅への雰囲気がある成田空港を後にした。
コタキナバルのホテルでは、喫煙3人組が同室でした。朝食はバイキングで好きなものを食べられるので満足、味もまともでした、 ミルクテイ-がおいしい。
10人がそれぞれ落ち着いた朝食はいいものです。(もちろん夕食で宴会は最高) オプショナルで市内観光と夕食をして、土地の生活を少しではあるが、触れる事が出来ました。
登山では、思ったより楽に登れました、一応のトレ-ニング(ランニング)が生かされました。 これからも継続する事が大事で、できればレベルアップしたいと思います。
そして何よりも、食べる事に関して、それ程問題はなかった。 食欲は日本に帰るまで全く衰えませんでした、常に1人前以上は食べていました。 やはり食べる事は ”元気の源”だと思います。

登山基地のキナバル公園までの往復で、道路だけは舗装されていて立派であるが、ジャングルの山合いに点在する集落では、どんな生活をしているのか想像もつきません。 学校はあるのか? 皆、何をしているのか、 その暮らしぶりを知りたいと思いました。
オプショナル最大の目玉は、自分としては海でした。 ボ-トで島へ行って、バナナボ-トに乗り、パラセ-リングをやった。(一人で)  シュノ-ケリングで熱帯魚を観る事もできました、 どれも初体験で、とても満足でした。
特に驚いたのは、海水が冷たくないのです。 何の抵抗もなく海に入れるのには感心しました。

今回の海外遠征は、山に登り、海での経験も楽しめて最高でした。また、9人の皆様と楽しく過ごせた事は、登山を続けてきたお蔭と思っています。
厳しい登山は、この様な訳にはいかないと思います。 今回のキナバル登山は良かったというよりも楽しかった、そんな山登りでした。 
(「やまだ」 記 )
★私が担当した2日間の記録
(11/4) 6:30・・「いとい」、「おしやま」、「さとう」、「えびはら」、「ながおか貞」ら 5人が裏山探検に出かける。
「さとう」2カ所ヤブ蚊に刺され負傷する。 9:30・・大型バスにていざキナバルへ出発。
10:55〜11:25 ・・途中の土産物店にて買い物、黄色い小さなモンキ-バナナ や赤いバナナを食べる。 うまい! 突然のスコ-ルでしばらく雨宿りする。
11:45・・公園事務所にて手続きを済ませ ロッジへ。   12:30・・唯一のレストランで昼食をとる。    15:00・・レストランの隣にある植物園を見学、またまたスコ-ルが あり、傘を忘れた沢畠さん苦労する。
18:30〜19:30 ・・レストランにて夕食、中華料理。 19:40・・ロッジにてレストランで購入したウイスキ-で前夜祭を開催。 「おしやま」会長がウイスキ-が空になったため、9時半過ぎに レストランへビ-ルを買いに行く。 閉まっていたらしいが、ちゃんと5本買ってきた。

(11/5) 6:00・・起床、キナバル山が朝焼けで輝いている。  6:20・・レストランで朝食。 昨夜は何度も目が覚めたが、「さとう」、「えびはら」部屋はTシャツでも寒くなかったらしい。 それもそのはず、2時半から起きていてお茶していたとのこと。
7:15・・公園事務所にてガイド、ポ-タ-を手配する。 私達の人数からガイドは2人、荷物は10kgで60RM(リンギット)なので、 全員の荷物は40kg位で246RM払う。 ポ-タ-2人とガイドで背負う。
8:10・・公園事務所から車でパワ-ステ-ションへ 向かう。  8:35・・標高1,850mのパワ-ステ-ションを出発。   11:05・・2,620m地点のシェルタ-(東屋)にて弁当を食べる。
13:40・・ラバンラタハット着、途中ウツボカズラの群落あり、小雨の中、時々晴れ間からキナバル山の鋭い岩峰が見え隠れする。
「いとい」、「おしやま」アルコ-ル切れでバテバテ?    18:00・・1階の食堂で夕食。 たまごス-プ、チャ-ハン、野菜炒め、チリソ-ス、など 中華料理であったが、なかなかうまかった。

[行動記録]
11月2日(土)
晴 成田〜コタキナバル  (成田〜クアラルンプ-ル : マレ-シア航空MH-089:ボ-イング777)    ( クアラルンプ-ル 〜 コタキナバル : 国内線MH-2646) JR小山駅-5:10--上野6:30--成田発10:40--クアラルンプ-ル 17:00/19:50--コタキナバル22:30-ホテル23:05
( 「さわはた」 記 )
★2002年11月2日、4時40分キナバル登山のため我が家を出発する、肌寒い。これから先の幸運を占う様に、満天の星が輝いている、小山駅には、5時到着、まだ誰も来ていなかった。
程なくして「やまだ」氏が、後全員が一緒に姿を現す。小山駅発の5時10分に乗車、一路成田へ。 渉外を半年も前から担当した「なかがわ」君に感謝。
まだ始まったばかりだが、帰りの11月8日の成田着まで、「なかがわ」君の苦労は絶えないであろう。 電車も古河駅辺りから通勤のサラリ-マンが乗車するのを見て少々驚く。 早い、普通私は今頃まだ夢の中であろう。
前のキリマンジャロの時には、顔を真っ黒く塗りたくった若い女性が東京、成田線に大勢いたが、今日はそういう女性は一人も見かけなかった。これも流行なのかと考えているうちに成田に到着。
11月の成田の早朝、やはり寒い快晴である。 成田では搭乗まで多少の時間があり、カメラのフイルムを購入、保険に入る。 他の人もそれぞれ足りないものを準備する。 そうこうしている間にも、時間は刻々と迫り9時30分B72ゲ-トに並び通過。
一路、マレ-シア航空機でクアラルンプ-ルへ10時40分出発する。クアラルンプ-ルまで約8時間の空の旅、マレ-シアは日本日本時間より1時間マイナス。 機内にて時間を1時間遅らせてマレ-シア時間に合わせる。
程なくして8000メ-トル(テレビのモニタ-を参考)上空で私は和食の昼食を摂った。クアラルンプ-ルに16時55分到着、当地も晴、暑かった。
クアラルンプ-ルは国際空港であると共に国内線も運行している。そこで入国手続きを済ませて、コタキナバル行きの国内線空港に移動する。
ほとんどが日本人ばかり。 コタキナバル行きの飛行機は19時45分発、南の国とは言え夕方になるとやはり涼しい。 国内線のロビ-で約3時間近く待機した。この空港は日本語でも表示してあるので行先を間違える事は無い。
又 円が通用するので大いに助かる。機内で、昼、夕、夜食と3食摂ったので胃がもたれた。 コタキナバルには、22時50分着、空港には華僑の張秋輝(英名Danny Cheong) が大型バスで出迎えてくれた。
我々の宿泊ホテルシャングリラに23時05分到着する。 疲れた、部屋は女性3人・男2人・2人・3人の4部屋を用意した。
( 「さとう」 記 )
★今回は、登山&観光と言う感じの山行で、総勢10人とまとまったのも、安い料金(11.5万)と目標の山の高度と、技術的な問題がなく、山小屋が整備されていて、海外登山入門として手頃な対象であったからだろう。

早朝の小山を出発、スカイライナ-にて成田へ。 空港ロビ-は 可なり混雑していた。*「ひらやま」さん、通関手続き時に一人、集合できず、心配されたが事なきを得、一件落着。

旅慣れた人が少ない事と、何と言っても言葉が不自由な田舎のグル-プで、登山以外での苦労が気がかりだ。*フライトして早速、「まつしま」さん、ボタンの押し間違いで乗務員を呼び出す。(男の乗務員が2人駆けつけた)
*「ながおか」さん、機内食のジュ-ス入れ透明のカップが気に入り、6ケ程持ち帰りビ−ル飲みに使うらしい。
フライトに疲れた頃、ようやくクアラルンプ-ルへ着き、更に国内線に乗り換えの為、入国審査をする、円をリンギットに交換せずゲ-トを通過し心配するが、空港ロビ-内の売店は円が通用した。国内線は、機内食が出ないと思い、売店で辛いヤキソバ、チキン、ビ−ルで腹ごしらえをする。
コタキナバルへの国内線は約2.5時間だが、予想外に機内食がでる、我慢して又食べたがまづかった。(後で腹痛かった)

コタキナバル空港に着くと、中国系ガイド・ダニ-さんが迎えに来ていた。流暢な日本語で案内、大型バスに10人の貸切り。ホテルでのチェックイン手続きを済ませ、部屋に落ち着いたのは12時を過ぎ、長い1日だった。
11月3日(日) 晴  市内観光
ホテル(シャングリラ)9:30--市内観光--ホテル14:00 -- ホテル近くの海鮮料理を食べる
海鮮料理店 海鮮料理を腹一杯食べる。
大きなロブスターは食べきれなかった。
( 「さわはた」 記 )
★昨日の空旅の疲れもあり良く眠れる、AM6時20分起床、7時に朝食を摂る、バイキング方式。マレ-シアは今は雨季だそうです、それでも今年は雨が少ないとガイドのDannyさんが言っていた。
快晴であった冬の日本から一足飛びに真夏の国マレ-シアへ。 早朝から日差しが強い、食事をとりながら外を見るとイスラム教徒らしい女性がスカ-フを頭からすっぽりかぶって、街をゆっくり歩いている姿が見受けられた。
外国へきたと言う実感が涌く。 亜細亜の旅は、同じモンゴロイド系なのか なんとなく親しみが涌く。 ただホテルはかつての宗主国の人種の体型に合わせて備品が調度されているので、私には大き過ぎて大変困った。
この日は終日フリ-プランなので、9時からガイドのDannyさんにコタキナバルの街を案内される。 先ず、最初にサンデ-マ-ケットに行き、この日は日曜日のため、銀行は休みのため両替えをマ-ケットでする。
マレ-シアの通貨はリンギット、 その下にセン、 100センが1リンギット。1リンギットが当日の円レ-トは、30,06円で両替えをする、 手数料として10%引かれる。
各々に両替を済ませてマ-ケットを後にして博物館、寺院、モスク、州知事の公舎を遠方より見学した。 途中、水上生活者の建物をバスの中より見学するが、彼らは国から99年の借地権を持っており、後数年で借地権が切れたらアパ-トに移るとのこと。
周辺が埋め立てられているので、ドブの上に家があると言う感じで、少々不潔な気がした。市内においては、緑が多く清潔な感じがする。
日中はとにかく暑い、又、昼は中華料理、 ガイドが華僑では仕方がないか、 バスでの市内観光も14時頃終わり、ホテルに帰り着く。
夕食までにはまだ充分に時間が有るので、各人グル-プ毎に近くのデパ-トに行く。 日本のデパ-トとほとんど変わりなく、大勢の人が出入りし大変賑やかであった。
帰りに露天で、ココヤシの実を見つけ、初めてなのでこれを注文する。 美味しいと言う感じではなく、珍しさも手伝って、全部飲んでしまった。
夕食はホテル近くの中華海鮮飯店へ行く。 テント張りの席についたとたん、マレ-シアに来て初めてスコ-ルの洗礼を受けた。 バケツをひっくり返したような豪雨であった。
30〜40分も降ったであろうか? 雨が止んだ後はカラットして、雨上がりの夕方の涼しさであった。 海鮮と言う通り、水槽で生きているものを、注文に応じて料理する。
日本では、ン万円するような代物を一人頭4500円で腹いっぱい食べる。 充分に満足した。 円の強さも実感する。いよいよ明日から、キナバル山に出発、ホテルに帰り登山の準備をする。
( 「さとう」 記 )
★ホテルの朝食はバイキングだ、好きなものを選べるだけ救われる。 味は、まあまあ。*「やまだ」さん、中国風おかゆ(塩味)がうまいと、お代わりしていた。(後日、食べたが、確かに食べやすかった)

朝一番で、マ-ケットに寄って貰い、リンギットへの両替えをする。 レ-トは、 3.06 各々、3万円程交換した。(918リンギット)現地、サラリ-マンの平均給与が、3〜4万円らしい。 取り敢えず3万とは、日本の円もまだ価値あると実感。

<サンデ−マ-ケット見学>まさに日曜日の午前中だけ行うマ-ケットの見学をした。 暑い、汗がにじむ。 日本と違い、多民族国家だ、色々な人種、宗教の違う人々、露天では、種々雑多、あらゆるものが売られている。

イスラム系の女性が被るスカ−フ(名前?)が、彫りの深い顔だちに良く似合い、とても素敵で印象的であった。

<サバ州立博物館見学>歴史、民族、自然総合博物館の見学をした。 ガイドのダニ−さんの説明を受けながら、マレ-シアの民族、歴史の一端に触れ概要について理解できた。
館前の土産屋で、ツバメの巣入りス-プを飲んだ人の感想では、甘くてまずいであった。
ホテルに戻り、話の種に3人でマッサ-ジを受けてみた( ガイドが勧めるのは、バックマ-ジンの為か?) 1時間で100リンギットだった、(日本円で約3,000- ) 全身オイルマッサ-ジのため、いきなりパンツ1枚になる、お尻半分までめくられたのは、痔の手術以来だ、 あせった。
同室の「やまだ」さんは、グッドラックと言い残し部屋を出て行った。マッサ-ジの感想は、可なり専門的なもので大変良かった。 (ただそれだけです)

夕食は、近くの屋外レストランに海鮮料理を食べに行った。 席につくと、スコ-ルがきて屋外テントに激しい雨が降った。魚料理、野菜料理、ヤキトリ、ヤキソバ、ロブスタ-、全員腹一杯食べた。
特に、特大ロブスタ-3匹を頼んだ為、食べきれず残してしまう、 料理はうまかった(1人:150リンギットは、まわりにいた地元の人には高嶺の花で、後ろめたかった)
*「ひらやま」さんの食べ方が少ないのが気になった(ダイエット ?)
11月4日(月)晴・曇り ホテル→キナバル国立公園ホテル(シャングリラ)9:30  →  キナバル国立公園 11:30   15:00〜植物園見学   21:00就眠
( 「さとう」 記 )
★6時半ごろ、ホテルの裏山に登ってみた、100M程の急な階段だ、(「いとい」、「おしやま」、「ながおか」、「えびはら」、「さとう」)頂上まで道は無かった。 朝から蚊に刺された為、近くのセブン イレブンに虫よけスプレ-を買いに行ったが無かった。
店の中は、日本の商品類とまったく違い、ジュ-スを買うとお釣りも満足にない様子であった。*「さわはた」さん忘れ物多し(人ごとでもないが) チェック アウトの時、赤いシャツ忘れ、「なかがわ」さんに持ってきて貰う、フィルムも全部日本へ忘れたと言っていた。
ホテルの前より、大型バスに10人の貸し切りでキナバル国立公園へ向かった。 途中の景色は、雑草が目につき、街並は雑然として、田、畑が極めて少ない赤土の痩せた風景が続いていた。

途中、土産物屋(露天に近い)で休憩し、買い物をする。 バナナは、モンキ-バナナ 一房 1リンギット(30円) 、赤いバナナもあり、登山の行動食用に確保した。 *「ながおか」さん、土産用にTシャツ他をマジに正価で買い物する(初めから、値引きの気持ちなし) しかし、「まつしま」、「さわはた」さんは、結構 強引な値切りをし、売り手の若い子を困らせ?ていた。

「さわはた」さん、冷やかしたつもりで値切った壺を買うはめになり、結果は良かったか、悪かったか。バスの途中、スコ-ルにあう、 比較的 新しいバスながら、天井の照明灯から雨漏りがした(さすが中国製)2時間で公園に着いた、お昼はレストランでとる。
ハイネケンの缶ビ-ルが 10リンギット弱、 メニュ-は、野菜の炒め物、肉、魚の炒め物で、何となく独特な匂いがする、 何といっても、極めつけは パサパサ ライスだ。ライスの完食者(「おしやま」、「いとい」、「えびはら」、「さわはた」)他の人は残したのに、「えびはら」、「おしやま」さんはお代わりまでした、恐るべき食欲なり。(相変わらず 「ひらやま」さんの食がほそい)

3時から 公園の植物園を見学する、 途中からスコ-ルになり、早々と切り上げた、「さわはた」さん、傘を忘れ 若干濡れる。夕食も、同じレストランにて、昼とほぼ同じメニュ-の内容だ、ビ-ルを飲み パサパサ ライスに炒め物をかけ、中華丼風にして流し込む  相変わらず、特に気にせず食べる人がうらやましい。

夕食後、マウンテン ロッジの地下ロビ-に集まり、ガイドのダニ-さんを交え、「おしやま」さんおごりの ジョニ-ウオ-カ-を飲み、歓談、山談義に花がさく。
*昨日のオイル マッサ-ジの件は、酒のつまみにされた。*「えびはら」さん、日本の百円ショップで買ってきた、使い捨て紙パンツを付けてきたと言う、使い勝手は、尻に食い込みTバック状態になるのが難点か?
マウンテンロッジは 広い個室のベッドに2人づつで、地下ロビ-は広々とした応接間である、日本の別荘に値する。ガスも出るし、炊事もできる、 難点は少しカビくさいのと、部屋によっては、シャワ-がでなかった、部屋にトカゲが居た。
11月5日(火)晴・曇り・ガスキナバル公園 → ラバン ラタ小屋(3,350M)起床6:00-レストランにて朝食6:20-PHQ(公園事務所)8:15-パワ-ステ-ション(登山口ゲ-ト)8:25-ラバン ラタ小屋13:40
マウンテンロッジのだんらん マウンテンロッジでのだんらん。
( 「さとう」 記 )
★レストランにて朝食をとる、 メニュ-は、ト-スト、ハムエッグ、ジュ-ス、コ-ヒ-である。 パサパサ ライスでなかったので助かる。

PHQから、これから目指すキナバルの全容が望まれ、8合目付近のラバンラタ小屋がかすかに見られた。
PHQにて登山の手続きを行い、ポ-タ-と ガイドを依頼、 パワ-ステ-ションまで再度バスにのった。ポ-タ-料金は、 10人分の合計 41kg 料金は、計246リンギットで往復の値段だった(1人平均/24リンギット=700円)
食事やオプショナルツア-等に比べ、安く感じる。 荷物はポ-タ- 2人、 ガイド 2人に分散され運ばれた。ポ-タ-の名前は(ロックミリ と ビリ- ) ガイドの名前は(スパイル と マイケル)で、45才のスパイルがリ-ダ-格で、おつむが薄く、風貌は、アルカイダのビン ラデン似のため、ラデンさんと呼んだ。

いよいよ登山開始だ、 成田以来、飲んで、食べての連続で、体がなまっている、 ガイドのマイケルを先頭に、ラデンがしんがりを努め、ゆっくりしたペ-スで登り始めた。
変化の無い樹林帯を、最初は汗をかき、途中から時々寒さを感じながら黙々と登る、休憩所には簡易トイレが有った。
途中、レストランで作って貰った弁当(サンドイッチ、鳥のから揚げ、ゆで卵、ジュ-ス、リンゴ)をたべた。高山植物は、時々、シャクナゲ類の鮮やかな赤い花と、ラン科の花が多い。
食虫植物の代表、ウツボカヅラが時々見られた。 登山道から5M程下ったところに、大きめなウツボカヅラが数箇所にあり、ガイドはいつも案内している様だ。

*「いとい」さんが大汗をかいている、ズボンまで汗で濡れる程で、個人差があると言えすごい。登山客は、欧米系(アメリカが多いか)、イスラム系、アジア系と多彩だ、欧米系は、豊満な体に半ズボン姿でユッサ ユッサ登っている。
イスラム系女性のスカ-フ?をつけた人も登っているのが印象的である。時々、サンダル履きの人がいるのが驚きである。 ポ-タ-には、女性も多く、殆ど男と同じ位の荷物を担いでいた。日本では絶対見られない光景である。

途中、雨が降る気配があったが、幸い降られずにすみ、誰も遅れる事なく ようやく ラバンラタ小屋についた。
小屋は日本の山小屋と違い、予め定員を制限して入山許可を与えている為、余裕が有って快適である。1部屋に、6人(2段ベッドが3列)で、スペ-スは十分だ。

トイレ、シャワ-も 男女 別々になっている。夕食はバイキングで、パサパサライスを避ければ、ヤキソバを主体に、ス-プ、 炒めものでまあまあの味である。
相変わらず「さわはた」さん食欲旺盛、 平山さん殆ど食べず、気がかりである。 朝が早いので 7時半に就眠。 
11月6日(水)晴・曇り登頂〜下山起床1:45--ラバンラタ小屋発2:40--山頂5:35/6:15発--ラバンラタ小屋7:55- 朝食 --小屋発9:15-パワ-ステ-ション(登山ゲ-ト)12:00--レストラン12:20-公園発13:20-ポ-リン温泉14:10/15:15-ホテル・シャングリラ17:30
頂上直下のスラブ 山頂直下、何処までも緩斜面のスラブが続く。
PHQ(登山口)まで無事下山、ホットする。
ドイツ人と会話が弾む(ただし、相手が日本語です)
( 「さとう」 記 )
★ 2つの山小屋の宿泊客、総勢120人程が一斉に2時ごろ起床。軽食をとって ヘッドランプでの登山となる。

木々の間からみる満天の星空が綺麗だ、階段が要所、要所に作られている、 急なスラブにはロ−プがFIXされており、小山山岳会のメンバ-なら、何の問題もない。
登り始めてまもなく、「いとい」さんヘッドランプを落とし壊れてしまった。その後はガイドのラデンさんに足元を照らして貰い世話になったらしい(後で個人的にお礼をした)急なスラブを越え、フリクッションが心地よく効く緩斜面のスラブ付近から、「まつしま」さん、平山さんのペ-スに合わせゆっくりと登る。 「いとい」さんも若干つらい感じだ。
ロウズピ-クが目前にせまるが、特に平山さんがつらそうだった。 数日来、殆ど食べる量が少なかったのがきいたのか、後で聴いたら高熱が有ったと言う(高山病なの?)ゆっくりながら、それでも3時間でロウズ ピ-クへ、 さほどの困難もなく全員が山頂へ着き、日の出を迎えた。

下山は、登りの満天の星空と変わり、晴れわたったスラブを、写真を撮りながらフリクッションをきかし、快適にくだる。
ラバンラタ小屋に8:00前に着き、振りかえると山頂まで長いスラブが続くキナバルの岩峰群がすばらしい光景だ。

小屋で朝食をとり、再びポ-タ-に荷物を預け、長い長い下りをゆっくり、ゆっくりと降りた。下りに飽きたころ、ようやくパワ-ステ-ションへ着く、 所要時間は3時間は掛からなかった。

昼食は、再びレストランのパサパサライスである、 無理やり流し込む。「えびはら」さんの食欲は相変わらずで、2人分でも物足りない様子で、現地人もビックリ、 尊敬してしまう。

PHQで預けた荷物を引き取り、迎えにきた大型バスに 10人でゆったりと乗り、ポ-リン温泉へ行く。*元気な「さわはた」さん、昼食時のビ-ルに悪酔いしたらしく、気分すぐれず温泉へは行かず。

日本軍により発見されたと言うポ-リン温泉に立ち寄った。 子供の遊び場みたいな雰囲気の温泉は、入る度にお湯を溜める必要があり、限られた時間にゆったり浸かるほどお湯が溜まらず、水着姿でひざを抱えて腰湯の感じで、滑稽な状態であった。

帰りのバスの窓から望むキナバルの雄姿は、曲がりくねった道に、みえつ、隠れつ雲をいただき、更に神秘性を増し、 よく登ったものだなと感激ひとしお、心地よい疲労も加わり満足感にひたった。

夕食はホテル・シャングリラ内の中華料理店でコ-ス料理を頼んだ。味は日本のものと違うが、まずまずであった。一人・40リンギットではしょうがないか。
部屋が寒いが、エアコンの操作が判らず、フロントに頼んで、身振り、手振りで教わった。
11月7日(木)晴最終日(観光)
朝食7:00-ホテル発9:30-マヌカン島10:00--サピ島10:20-<島で遊ぶ>-サピ島発14:05-コタキナバル14:40-ホテル14:50デナ-ショウ18:30--ホテル・チェックアウト22:00--コタキナバル空港22:20/空港発11/8-0:30
サピ島の海岸 サピ島砂浜でのミニバイキング。
一通りの熱帯魚がいた。
( 「さとう」 記 )
★いつもと同じく、ホテルでのバイキングの朝食をとり、オプショナル ツア-の島巡りを行なった。
「やまだ」さんだけは、希望で、単独での市内観光を楽しむため、別行動をとった、 冒険心が旺盛で尊敬。

1人・250リンギットのオプションで、観光ル-トのため料金が高いのは仕方ないだろう。 ガイドは台湾系ウィリアムさんだ。山屋が海ではしゃいでいるのも滑稽だが、たまにはいいだろう。

モ-タ-ボ-トで波を切り、20分程でマヌカン島へ着く。船着場の桟橋から、餌づけされた魚にパンを千切って投げ込み遊ぶ。
観光ル-トのわりには、海にゴミが浮いていて減点ものだ、 環境保全の意識は、この海辺より キナバル山の方が管理されていた。
山では、途中のゴミ箱のゴミ回収は、ポ-タ-やガイドによって持ち帰られていた。

再びボ-トに乗り、目的のサピ島へ着く。 早速、バナナボ-ト遊びの船に乗り換え、少し沖合に出る、 半分づつ交代でバナナボ-トに乗せられ。スピ-ドを上げ、急ハンドルを切り、乗客を振り落とすというお決まりコ-スだ、結構スリルはある。
当然ながら、ライフジャケットを付けているいるが、泳げない「まつしま」さんは、キャアキャア騒いでいた。

海辺の木陰にセット料理が置かれ、カニ、ヤキソバ、ヤキトリ、等のミニバイキングである。 料理を食べながら、シュノ-ケリングで魚と戯れる。
海水温はまったく寒さを感じない、さすが赤道に近いだけある、熱帯特有の魚がひと通りいた。カロリ-メイトを与えると面白い様に魚が寄ってきた。
「なかがわ」さんは魚に乳首をつつかれたと喜んで? いた。「えびはら」さん、一人パラセ-リングに挑戦する。80リンギット払ったわりには、それ程感激しないとの感想であった。

ライフジャケットの松島さんに沢山の魚を見せようと沖のブイまで誘い連れていくが、顔を水面につける行為が苦手で2〜3秒つけた程で、みたみたと言っている(それじゃ だめなんだけどね)

*陸に上がった「まつしま」さん、水を得た魚の如く、土産物を売りにきた若い男の子を相手に本領発揮、得意の値引き交渉を一手に引き受け、 ネックレス、パ-ルのネックレス、(いびつだから天然物だろう) Tシャツの値切りに貢献、一役買った。

「いとい」さんは、海に入らず、 木陰でビ-ルを飲みのんびりしていた。ここの海も、やはり、ゴミが浮いており減点ものだ、 環境より、儲け優先である。空模様が怪しくなった事もあり、早めに切り上げボ−トに乗る。
5分も走ると、サピ島がスコ-ルの真直中だ。再び、暑さ厳しいコタキナバルの船着場へ、 大型バスでホテルに着くと、すぐにスコ-ルがやってきた、タイミングが良かった。
*「やまだ」さんの市内観光<1人で出かけた市内の様子>
*すしを腹一杯食べる ・ ・ ・ 従業員は現地の人だが、日本の米で最高にうまかった( 値段= 88リンギット )
*足裏マッサ-ジを受ける ・ ・ ・ 登山の疲れもあり、足裏マッサ-ジを受けた(本当に足だけと本人の弁) 50分程で25リンギットであったらしい。
*マンゴ-食べ放題  ・ ・ ・ マレ-シア産とフィリピン産のマンゴ-を腹一杯食べたそうだ。 (6ケで10リンギット)

夕食はデイナ-ショウのオプションである、 再びガイドのウイリアムさんの案内で、バスにて出かける。民族舞踊のショウを見ながら、 再び、ロブスタ- 山羊の肉、 マトン、他を食べる。
味はまあまあ、 先日の海鮮料理にコリていたので、量的に丁度良かった。( 1人=180リンギット )
平山さん、調子が少し戻り一安心だ、「えびはら」さん、相変わらずパサパサライスを物ともせず、食欲健在。
「おしやま」さん、またまた魚料理の頭にゾッコン、綺麗にたいらげる、会長の趣味が解った、食べ物、飲み物に係わらず最後まで平らげる事に喜びを感じるらしい(そういえば、ロッジでのウイスキ-ボトルが空になった時も嬉しそうだった)

デパ−トの土産屋で最後の夜の買い物をした、相変わらず、女性は買い物が好きだ。 手に一杯の土産を買っていた。*「さとう」氏(小生だが)350リンギット余ってしまい、欲しい買い物なく、日本に帰ったら紙屑になると思うと焦った。

ホテル・シャングリラをチェックアウト、再度ガイドのダニ-さんの手配で、大型バスにてコタキナバル空港へ、帰路は、成田へ直行便となるため可なり楽だ。

*朝の強い「えびはら」さん、連日のエンジョイで、羽を伸ばし過ぎか? 帰路になると、あくび、ウトウト、疲れがでた模様。

*「ながおか」さんの出国手続 ・ ・ 「さだこ」さん、出国ゲ-トにて、誰かから貰ったミニバナナを1本 手に持っていた、検疫で指摘されるととっさに判断、係官の前であわてて飲み込む。
皮は食べられないからザックの上、そのまま無事通関、 ふしぎな光景であった、 固い表情を崩さない係官も苦笑い。

出国ゲ-トを通過後、リンギットの残金処理に困った連中(小生が一番)これ幸いに免税店で買い物、日本円もカ-ドも使えるため、土産物さらにふえた。
* 「まつしま」さん またまた免税店で値切りの快感にひたる(本当は買う必要無い?)
11月8日(金)晴帰国
コタキナバル 0:30-- 成田6:15-- 京成成田8:35-- 小山11:40
( 「さとう」 記 )
★深夜のコタキナバルを発って、帰国の途へ。デイナ-ショウで腹一杯食べたのに、またまた予想外に機内食がでた、 また食べるの?という感じ。
小生は、とてもその気になれず遠慮、 寝酒のワインだけ頂きほろ酔いになる。
しかし、たまげた!! なんと、みんなは食べている…   その食欲と、胃腸の丈夫さには驚きと尊敬。

今回のマレ-シア山行は、直前のインドネシア(バリ島)爆破事件があり、一抹の不安は有ったが何のアクシデントもなかった。
各人、それぞれの思い出を胸に、満腹と疲れも手伝い夢の中へ、 朝焼けの冷えびえとした成田に無事到着。

コ−ヒ−ショップで一息いれて一路 小山へ、今回のキナバル登山(観光?)の夢の旅も終わった。 
<雑記>( 「さとう」 記 )
★・コタキナバルの市内は、道路に信号が殆ど無い。 交差点が少なく、ロタ−リ−方式になっていて、流れが良い。
車の絶対量が少ないから可能なのか、 人の横断は、車の流れの合間をみてタイミング良く渡る事、何度か渡ると 慣れた。タクシ−は目立たない程少ない。

ミニバスが市民の交通手段らしい。バスの車掌は、若い男性が主体で しきりに行き先のコ−ルをしている、 車掌はバスが走り出してから飛び乗るのが特徴だ。
・自転車は殆ど見かけない、 郊外でたまにマウンテンバイクを見かけた程度、自転車の習慣が無いみたい。
・車は全般に薄汚れているのが多い。 1世代前の日本車が多いのが目立つ(トヨタ、ミツビシ、ニッサン 等々)・ガソリン車は車検が無い、 ジ-ゼル車のみが対象だ。
マレ-シア産のプラトンと言う大衆車が多く走っている。・国産車保護育成策により、輸入車は2倍の関税が掛かるらしい、 日本の新車はとても乗れない。
ホテルの玄関前に横付けされていた、セルシオとランドクル-ザ-の新車はすごい。・住宅は、郊外の一戸建で、 土地付き 400万円位、 マンションは 200万円程らしい。・今回、英語(単語?)が何とか通じそうな人 (「なかがわ」、平山、「やまだ」さん) その他は駄目でしょう中には、英単語もなまっている。・今回の観光山行で、平均的小遣いは、 3〜5万円 (900〜1500リンギット)であった。
 END